176時間、過食嘔吐から離れて


年末年始の続き




12月31日の午前7時から始まった。
そして、昨日、1月7日、午後3時まで、およそ176時間。
嘔吐なしの生活をこなした。

せいぜい、48時間が限界だった9年間。4.5倍くらい成長(回復)したと思っても良いのだろうか?






摂食障害という名の自傷行為



記録 176時間


○感想

吐きたいのが強くなるのは、
食べたいわけではなく消化器系の不快感に耐えられない。
身体の不快感から集中力を欠き、食べることくらいしか時計を進める術がなくなる
吐かなくても吐いている時と体調は対して変わらない。
(吐いたところで楽になれないことを学んだが、逆に言えば吐いても吐かなくても同じであれば吐くことを断ち切る努力に意味があるのか考えてしまう)
いかに過食嘔吐を緩衝材として使ってきたかって事が良く分かる。
現状の不快感から逃れるため、何も楽しく無い現状を忘れるための道具として用いてきたのか。






○考察

体重なんかどうでもよくて、過激な”痛み止め”として過食嘔吐を用いることで
身体の不快感から逃れようとしていた。
食べることと吐くことに集中することで、不快感や虚無感、すなわち、自分にとって不利な状況から自分を切り離そうとしていた
(不利な状況から自分を切り離す行為=自傷行為


本来、たかだか食べ過ぎ程度の気持ち悪さ(あるいは不快感)であれば、昇華するのをベッドに寝そべって待っていればいいのかもしれないが、
嘔吐という短期で楽にな(ったように感じ)る方法を身に付けてしまったことが逆に仇となって、苦しむ時間が増えている。




○追記

あと、日常的に行っていると忘れてしまっている感覚だが、嘔吐というのは本来、身体にとって非常にダメージが大きいものである。
感覚をあけて、嘔吐のダメージを感じれるようになると、視界はぼやけるし、頭はガンガンするし、食事の片付けや歯磨きなどの後始末をやる気力を奪われる。




○追記の追記

途中、幾度となく、吐きたくなった。
だけど、吐こうと思って1時間くらい我慢してみると、不思議と吐き気は消えている。
1時間の我慢の積み重ねを怠ったのが9年間と言う苦しみを生んだ源泉かもしれない。


お肌も潤っているような気がする。



が、慢性的なダルさ、強烈な寒気、無気力、嗄声などなど、日常のQOLは相変わらず低空飛行。
たかだが、1週間で9年の負債返済は無理だって事でしょう。








写真は1週間ぶりの過食嘔吐の図。