「本音(気持ち)を受け止めてもらえない」ということ

以前、拒食症の女の子が
「信じられるのは自分だけだ」ということを言っていた。

その子の母親も「信じられるのは自分だけだ」と口癖のように言っている。

けれども、自分だけしか信じられないということは本当は自分の事も信じられないということなんですね。

要するに、誰も信じられないということです。

究極は自分も信じていないということなんです。


誰も信じられないということは自分を信じてくれる人がいなかった、
自分を愛してくれる人がいなかったということなんです。

孤独や孤立の裏側は自分勝手さでしょう。

(続 子どもへのまなざし 佐々木正美 福音館書店)より















「辛くて死にたい」という”気持ち”は、どこへ行ったの??

FIREのCMで
江口洋介さんが息子に向かって語っていた言葉。



「母さんから電話で聞いたよ。お前がピッチャーじゃなくてライトを任されたこと。
 でもな、ライトにはライトにしか出来ない仕事があるんだ」



これが父と息子の美しい会話として一般的になされている会話だとしたら、少し残念なような気がした。
だって、子どもの悔しさを大人が受け止めてあげていないから。









確かに、ライトフライはライトにしかとれないし捕殺もタッチアップを防ぐこともライトにしかできない役目かもしれない。
しかしながら、「ピッチャーをやりたかったのにやらせてもらえなかった子どもの悔しさ」はどこに行ったのだろう?


このCMの中の息子さんが小4くらいだと仮定しよう。
たとえ中学生だとしても、やっぱり、まだまだ大人(両親)が「心を守ってあげなきゃ」ならない年齢であると思う。



心を守るというのは端的に言えば「気持ちを受け止めてもらえた」と感じれることだと思う。



仲間や監督の前では気丈に振る舞い、ピッチャーに選ばれた仲間には頑張れよ!などと励ましているかもしれない。
だけど、家に帰ったら、そういう”大人の振る舞い”を脱ぎ捨てて、本当の気持ち、「選ばれなくて悔しかった」という気持ちを、
誰かに喋って、受け止めて欲しいのではないだろうか。



そうやって、悔しい気持ちを受け止めてもらえてこそはじめて子どもは現実の世界に自分を適応させていこうと思える。


、子どもにだって、自分と仲間のどっちが実力が上かということはわかるから、
ちゃーんと与えられた役割、ライトの守備に全力を注ぐだろう。もちろん、ピッチャーに選ばれた子を恨むことは無いだろう。




ライトにはライトにしか出来ない、というのは大人の社会での価値観。
子どもは「ピッチャーになれなかった口惜しさ」を抱えているのに。


社会的な正しさ、ではなく「子どもが抱えている気持ちを分かってあげる=共感」が現代社会には圧倒的に足りないし心の病になる様な子どもの親は、共感が圧倒的に足りない。




このCMの例でいえば「ピッチャーをやれなくて悔しかったな」というように、子どもが抱えているであろう気持ちを予想し、
その気持ちを言葉にさせて、その気持ちをちゃんと受け止めてあげる。
それこそが「心を守る」役割なのだと思う。



社会的な正しさ、あるいは社会のルールとしての正しさ、みたいなものを教えることも大人の役目だろう。
しかしながら、その前に子どもの思い・気持ちに共感してあげる。この基礎工事ができてこそ、ルールを受け入れていくことが出来るのだ。




















誰も信じることの出来ない拒食症患者は、辛い気持ちを分かってくれる相手が誰も居ないのだろう。
そして、拒食症患者の親もまた、だれからも「心を守ってもらった経験」がないのだろう。
だから、誰も信じられないし、「気持ちを受け止めてもらった嬉しさ」を親自身が経験していないのだから、そうして欲しいと思っている子どもの心など守れるわけが無い。


そうやって、誰も信じられない親から誰も信じられない子どもが育って、子どもの中にある辛い気持ち、誰かに受け止めて欲しい気持ちは未消化のままになっていて、言葉の代わりに拒食症という症状が親に辛さを訴えているのだ。

























○本当に言いたいことは言えていない

25歳の拒食症の娘さん(井上彩花)さんが母親に連れられてやってきた。
大学を出て就職したが半年で出社できなくなり、そのまま自宅にいる。


問題なのは拒食症で、みるみる痩せてきて身長155なのに体重が34キロになってしまった。
高校生の時にも同じような体重になり、心療内科に入院したことがある。


彩花さんはもう立派な社会人なのに母親の前では声も小さくなってうつむいて黙っている。
まるで小学生のようである。

概要を聞いた後に彩花さんと二人にしてもらった。
そこで彩花さんは次のように言った。


「もうだめなんだ」ということをお母さんに言ってしまった。(そんな言葉を)吐き出してしまった。
 お母さんは善意で「頑張って治そう、しっかりして」と言ってくれるのに…。

私いろんなことを我慢して頑張ってきたのに、分かってもらえなくて…お母さんの前で泣き出してしまった。
でも、お母さんはどうして私が泣いたのか分からなくて困っていた。
お母さんは話さないと分からないというけれど、
いつも私が同じことを言ってうんざりしているみたいで…もう話せない。

(生まれ変わる心 高橋 和巳 筑摩書房




娘の辛い気持ちは後回しにされている。
とにかく、前向きに病気を治そう、と。


前向きにしなきゃいけないことは本人が誰よりも分かっている。
お母さんに言って欲しいのは、そういうことじゃない。


「私は辛い」という気持ちをただ、聞いて欲しいだけなのだ。
25年間、そうやって「正しさ」ばかりを押し付けてきた母親に拒食症という症状が語りかけているのだ。















○不安を抱えている親は子どもを受け止めることなど出来ない

■愛情飢餓を抱えたお母さんに育てられた


由美さん(33)はすぐイライラしたりカッとなってしまうことに悩んでカウンセリングに来られました。
由美さんはご主人への怒りを話していくうち、もっともつらいのは、「私を必要としてくれない」ことだと気づきました、

そしてカウンセリングを重ねるうちに「必要とされることに依存」していることに気づいたのです。



由美さんは、サラリーマン父と専業主婦の母という中流家庭で育ちました。
お母さんはとても神経質な人で、いつも何かと不安を見つけ出す人でした。
自分の健康の事、お父さんの会社の経営状態、由美さんの成績など。
そのうえ由美さんは、毎日のように愚痴を聞かされて育ったそうです。
お父さん、近所の人、医者への愚痴など。


由美さんが愚痴を聴かないと、すごく怒りました。
でも、由美さんの愚痴は聴いてくれなかったそうです。
お母さんに不満や要求を言おうとすると、「お母さんはこんなに大変なのに、そんな事言わないでちょうだい!」と拒否されます。

由美さんのお母さんは、長年にわたって強い愛情飢餓を抱えている人です。
無意識のうちに由美さんに求めることで、愛情飢餓を満たそうとしていたのです。

(「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる! 古宮昇 すばる舎





「不安なんか、親以外の人間に話せばいいじゃないか」と、健全なコミュニケーションパターンを持っている人たちは思うだろう。
しかしながら、子どもが小さい頃に学んだルールは、根強くその子どもの人生に影響を与え続けている。

つまり、「気持ち(本音)を話す=相手(親)には受け止めてもらえない」というルールを持っていると、
学校でも職場でも、親との関係によって作られたルールが子どもを縛る。
「弱音や愚痴を言いあいながら人間は支えあっている」とは到底思えず、
本音を溜め込んでしまうし、弱さを見せない人間に他人は親近感を持たずに孤独を誘う。




それだけ、原家族で学んだ「人間とは」というルールは、根強いのである。





















○境界線を越えずに共感(肯定)してあげる









■とにかく話を聞く

アドバイスや質問をしたくなるのは、親として自然な反応です。

でも、話し手にとっては「何を話しても大丈夫ではない」というメッセージになってしまいがちです。
少なくとも、うつ病摂食障害の場合、自分のだめさ加減や将来への不安について、
患者さんはすでに悩みつくしています。
考え付く努力や我慢も、すべて話しています。

そんな状況でどんなに気の利いた(つもりの)アドバイスをしても患者さんは
「そんなことは、とっくにわかっている。できない自分の辛さなんてわかってくれないんだ。
 やっぱり私の気持ちなんて聞いてくれないんだ」と感じます。

そして、話すのが嫌になってしまいます。




■どんな気持ちも受け止める


問題を解決していくためにはネガティブな感情を引き起こした相手に直面しなければならないこともありますが
まずは家族など身近な人が聞いてあげることで十分なのです。



ところが、家庭にとって
ネガティブな感情をただ受け容れるのは難しいことでたいていは、ついつい解決してあげたくなってしまうものです。
病気の子どもがネガティブな感情にとらわれ苦しんでいる姿を
ただ見ているのはツラいからです。


「気にしなければいい」とか「そんなの、誰にでもあることだから」などという気休めが出てきてしまうのはそのためです。
家族によっては子どもの怒りに恐れをなしてとにかく謝ってしまう人も居ます。

(10代の子をもつ親が知っておきたいこと  水島弘子 紀伊国屋書店










■信じれる相手に本音を言えることが癒しにつながる

人間は話すだけで楽になったりするんだから、まったくかわいい生き物であるなあ

(憤死 綿矢りさ 河出書房新社





何を話しても大丈夫。
たとえ世間的には言葉にしてはいけないようなことを言ったとしても、目の前に居る人は否定せずに聴いてくれる。
そういう安心感が人を楽にし癒していく。そして自分を否定しないで受け入れてくれる相手のことを「信じる」ことが
本当の意味で出来るのではないだろうか。

本音を言える相手が居ないのであれば、それはどれだけの人間に囲まれて恵まれている人間関係を持っているようにみえたとしても、
その人は誰も信じることは出来ないし癒される機会はいつまでも無いのではないだろうか。






































※本音を聞ける親ばかりではない

■家族のプロセスの尊重と患者への安心提供


家族には家族のプロセスがある。

患者の場合には症状による直接の苦しみや、自分に問題があるという自覚のために、また、年齢も若いために、プロセスが早く進むこともある。
特に、摂食障害の患者は、ひとたび治療者を信頼してくれると、その信頼は強固となるため、プロセスは進みやすい。

一方、親の場合は、自分の問題だという自覚に乏しく、自分自身は健常者として生きており、また、年齢も高いため、プロセスに手間取ることも多い。
母親の方は、自分の言動の結果がどういう悲劇につながるのかを身をもって知るまでは、治療の土台にすら乗ることができなかったわけである。

親のプロセスをどこまで待つのか、ということについては個別の判断になろう。
親をいたずらに待っていると、時には子どもの命さえ脅かすことになる一方、性急に親を見限ると、子供は強い罪悪感を抱き、結局は親にしがみつくことになる。

摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社





続 子どもへのまなざし (福音館の単行本)

続 子どもへのまなざし (福音館の単行本)

10代の子をもつ親が知っておきたいこと

10代の子をもつ親が知っておきたいこと

月経前後の過食(多食)は極めて健康的








●概要


エストロゲンは女性(メス)を成熟させる。


個人的には、エストロゲンを動物に人工的に加えることでメスの成長速度が速くなって、早期に”製品”として売り出すことができるためなんじゃないかと理解しています。


で、人間の場合、エストロゲンが多くなると子どもを育てる環境が整うので、母体として栄養を取り込もうとするから、結果として食欲が増す。
エストロゲンが慢性的に過剰になっているのは問題だとしても生理前と生理前半くらいに食欲が大性になるのは自然なことですから、
こればっかりは受け入れていくべき人間としてのあり方なんじゃないかと





















◎まとめ

生理中はエストロゲンの量が相対的に増えているので具体が悪くなる(プロゲステロンが相対的に減っている)

エストロゲンが多くてプロゲステロンが少ない場合、人間に備わっている機能としてたくさん食べたくなる。
だとすると、これは自然なことなのであって意思とか気合で生理じゃないときの水準に食欲を抑えることは非自然界的行為となる。



「食欲に負けちゃう私って意志が弱い…」などとは、ゆめゆめ思っていただきたくない!!

























月経前症候群とは

PMS(premenstrual syndrome)とは
毎月の排卵後からはじまり月経後には消失する様々な症状を呈する症候群です。


プロゲステロンの存在がPMSの原因であると言われているが
アメリカやヨーロッパの内分専門医の意見は
これとは違い、プロゲステロンの不足がPMSの原因の一つであるという
考え方が共通認識になってしまいます。

(なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病  矢崎智子 東京書籍)


















エストロゲン優勢になりやすい時代


近年家畜を育てる飼料などにもエストロゲンが使われるようになり、実は先進国の女性の大部分は
エストロゲン過多」の状態にあるそうです。

女性の様々な不快な症状は、女性の体の中で「エストロゲン過多」が起こりホルモンのバランスが崩れてしまっている表れであり
このエストロゲン過多を押さえてくれるホルモンがプロゲステロンであると。




















エストロゲンと食欲




エストロゲンはジャンクフードが食べたくなる?

エストロゲン優勢の女性は、体内に水を溜めやすく、砂糖、焼き菓子、チップスなどをすぐに欲しがる傾向がある。




■ストレスとPMS(生理前症候群)

ストレスはコルチゾールのレベルを上昇させる。


コルチゾールプロゲステロンは細胞内の共通のレセプターを奪い合い、プロゲステロンの活動を損ね、エストロゲン優勢の状態を招く。


慢性的に高くなったコルチゾールは、PMSのよく知られた症状と一緒にエストロゲン優勢の直接の原因となる。


コルチゾールの高いレベルは、血糖にも影響を与える。
コルチゾールは、グルコース(血糖)を細胞へと流し込む。
最初に流し込んだグルコースは、爽快かもしれませんが、20分もすると、身体はもっと多くのグルコースを探すために過剰に働くことになる。
すると、あなたは血糖とエネルギーを補充するために、チョコレートやクッキー、ポテトチップスを求めて、戸棚や引き出しを捜し回ることになる。


こうした空っぽのカロリーの多くが脂肪に変換される。
そして、このパターンを長く続けていると、体重は減り、エネルギーを上げるのが難しくなる。


血糖値の変化は、また別の悪循環を作り出す。
血液中の糖の数値が高くなると、アドレナリンの放出を刺激し、これが今度は、コルチゾールの放出を刺激する。
この結果、もっと甘いものが急に欲しくなるという欲求が引き起こされる。







エストロゲンは脂肪細胞の中で造られ、貯蔵される。
従って、肥満はエストロゲン優勢の主因であり、その反対に、エストロゲン優勢が肥満の主因である。
エストロゲンは、食べ物のエネルギーを脂肪という名の蓄積型エネルギーに変換することで、体重増加を引き起こす。


(続 医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の一生の健康を守る! ジョン・R. リー  中央アート出版社)
























女には他人に見せちゃいけないものがたくさんあるんだからね
それをみせると、他人じゃなくなるんだから

(見えないドアと鶴の空 白石一文 光文社)










続・医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の健康を守る!

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見えないドアと鶴の空 (光文社文庫)

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拒食症は「いい子」から卒業するための病気〜親子病理としての拒食症〜






◇共感欠如≒境界線問題

「あの子、死にたいっていうんです!もうどうしたらいいか…」

「どうして娘さんは死んではいけないのですか?」

「あの子が死んだら、私はどうしたらいいか…私は耐えられません!!」

「そこなんですよ、お母さん。」
「お母さんは『娘が死んだら困る私』という私のことばかり考えていて『死にたいほど追い詰められている娘』さんの状況を思いやれていないんです」
「『娘さんを失う私』の事じゃなくて『死にたいほどの状況を抱えている娘さん』の心情を否定しないで下さい」









上記は世界仰天ニュースで摂食障害の女性の特集を放送していたときの母親と支援者のやりとりです。
(脳内記憶なのでこの通りだったかどうかは確信は無いけど)


この中に、すごく重要なこと描かれていると思っている。
何かというと、母親が「共感」が出来ない&「境界線問題」を抱えているということ。






■「死にいたい娘の心情」よりも「娘を失う私」を優先している

「死ぬなんてバカなこといわないでちょうだい!」というのは一見、娘の事を心配しているようにみせかけて、実は、
この母親が自分自身の不安を娘に背負わせているのである。


気持ちと行動というのは必ずしも一致しているわけではない。
「死にたい」気持ちが本当に「自殺」をしたいということとイコールにはならないのである。


「死にたい!」と訴えるのは「死にたいほど辛い私の気持ちを分かって!!」ということを伝えているのである。
「気持ちを分かって欲しい」という願いは「死ぬなんてバカなことを言わないで!」という返しでは叶えられない。




「そうだね。病気を抱えていて死ぬほど辛いよね」。
これが共感であり境界線が引かれている親子(あるいは人間)関係である。


たとえどんなに母親を心配させ不安にさせるような言動を娘がしたとしても、
娘の気持ちを否定してはいけないのである(本当に死のうとしている場合の”行動”は止めるべきである)


境界線問題を抱えている人、ようするに、「自分の不安」と「娘の気持ち」が別物であることを理解していない母親の事を指すのである。



そして、境界線がきちんと引けていない母親は娘に共感することが出来ない。


「あなたには死んで欲しくないけど、あなたが死にたいほど辛いということは理解しているよ」
というのが境界線が引けていて共感が出来る親の「死にたい!」に対する返しである。




■心配という名の自己チュー


娘の言動や行動によって喚起された親側の不安をどうにかしたいがために、
娘に「バカなことを言ってんじゃないの!」と言ってしまう母親は、娘を心配しているのではなく、母親の不安をどうするかに目が向いてしまっていて、
残念ながら、娘の支えにはならないだろう。(むしろ悪化させる最大要因かもしれない)



境界線が引けなくて共感できない親というのは、要は、いろいろな心配事を患者にぶつけて何とかするように求める家族、ということである。

「死にたい!と助けを求める娘の心)よりも「死にたいと言われて動揺している私(母親)」をどうにか安心させて欲しいと思ってしまっているのだ。



摂食障害の人は基本的に優しい人なので、自分がどうしようもなく辛い状況下であっても、こうした家族の不安を背負おうとしているのである。
境界線が引けていない親の事情までも「心配をかけないようにしなきゃ」として、自分の治療に専念できないのである。
(子どもが苦しんでいる姿をみていることに耐えられない親がなんと多いことか。子どもは治療を受けているのだから苦しいのは当然なのに。
 子どもが苦しむ姿を見ている自分のために、子どもに”苦しむな!”と言っている親は子どもではなく自分のニーズを優先していることに気づいているのだろうか…)







■親の不安を解消する > 子どもに必要なこと

「子どものため」を思える親、すなわち境界線が引けている親であれば
「治療を受けて苦しむのは本人がよくなるためのステップなんだ。親も子どもが苦しむ姿に耐えなければ」と思えることだろう。
「子どもが苦しむ姿を見ていられない」というとき、親は何を考えているかと言うと、「苦しい治療でよくなる子ども」ではなく、
「子どもが苦しんでいる姿に耐えられない”自分”」なのである。












○(摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社)より以下引用

■病気につながったパターンに気づく

拒食症の発症前の価値観として多く見られる「何でも自分一人の努力で乗り越えなければならない」という感覚は、
家族との関わりの中で作られることが多い。その一つの形が、過干渉な家族である。

過干渉な家族というのは、要は、いろいろな心配事を患者にぶつけて何とかするように求める家族、ということである。
そこで求められている患者の役割は「家族を心配させないように自分の努力で何とかする」というものになる。

これは拒食症につながる価値観そのものである。

このパターンは、病気になった後も続くどころか一般にはエスカレートする。
家族は心配を患者本人にぶつけ、何とかするようにと要求する。

「そんなに痩せたら死んでしまうでしょ?」
「生理が止まってしまって、将来子どもが産めなくなったらどうするの?」
「とにかく食べて」


などという言葉は、要は「あなたを見ていると心配だから、私を心配させないように、自分で何とかして」という意味である。


実際には、病気を自分ひとりの努力でコントロールすることなどできないので、結果として本人はどんどん追い詰められていく。





過干渉の他に目に付くのは、本人のペースの軽視である。
本人のペースを尊重せずに、自らのペースで振り回す家族は多い。
これは随所に現われる。

摂食障害患者を多く診ていて印象的なのは、特に制限型の拒食症の患者の予約のやりとりの中で、
「ご本人の都合はいかがでしょうか」と受付スタッフが聴くと「大丈夫です。つれていきます」というような返答が即座に返ってくる場合が多いということである。

このような家族の姿勢は、医療現場ではそれほど違和感を抱かれないものだが注目してみると家族関係のパターンが分かることが多い。
家族が受診させたがっているという事情だけが重視され、患者本人はどう思っているのかということが置き去りにされてしまうのは、
初診の予約に限られた話ではなく、病気についてのやりとり全般にそして、患者と家族とのやりとり全般に見られる傾向である。

そうやって家族が患者を自らのペースに巻き込むことも、治療においては阻害的に働く。




ちなみに、自分のペースで患者を振り回している家族には、少なくとも当初は「病識」がない。
そしてそのような家族に限って、「患者本人に振り回されている」と訴えるものである。

親のペースで進まないということになると「振り回されている」という感覚になってしまうのだ。

拒食症になる子どもは「いい子」が多いといわれるが、それは「親のペースに振り回される子」と言い換えても良いものである。
「いい子」のままでは病気を治すことができない。拒食症は「いい子」から卒業するための病気であるとも言える。






■親が自分の不安をコントロールできない

過保護と言うのは大人が
「子どもに任せておいたら失敗するのではないか」という
親が自分の不安をコントロールできないがゆえに起こるもので子どものためでなく、自分のための行為です。






■過保護といい子は要注意


過保護というのは、大人が先回りして「正解」を教えてあげたり、
代わりにやってあげたりすることを言います。


これは子どものためにやっているように見えますが、
実際は、大人が「子どもに任せておいたら失敗するのではないか」という自分の不安をコントロールできない結果として起こります。








■親の不安をコントロールする



親の不安のコントロールが課題になるのは
過保護だけではありません。



高校生のBさんは、友達関係の悩みから不登校になってしまいました。
学校に行かなければと思ってはいるのですが、
どうしても行くことができないのです。


本人はそのことでかなり悩んでいます。
学校に行けない自分を落伍者のように感じ、こんなことでは将来どうなるのだろうか、と不安です。


とこどがBさんはその不安を両親に話すことが出来ません。
なぜなら、両親が
「学校に行かないと人生の落ちこぼれになるぞ」
「何とかしていけないの?」と、自分たちの不安をBさんに押し付けてくるからです。


Bさんはただでさえ不安なのに、両親にその不安をあおられ
さらに、親から新たな悩みを植え付けられます。

それは「Bみたいな子どもがいて、自分たちには本当に迷惑だ」という親からのメッセージなのです。

こういう重圧に耐えられなくなってBさんは
親が無理やり学校にいかせようとすると、暴れるようになりました。

その姿をみて、親は「ついに家庭内暴力まで始まった。この子はどうなるのだろう?」と
ますます不安を募らせ、子どもにその不安を押し付けていきます。

Bさんの不安と悩みはさらに深まり、事態はさらに悪化していきました。


子どもが失敗をした場合も同じです。
子どもはすでに自分を責めている場合が多いのです。
受験に失敗したDさんも、死にたいくらいに落ち込み
期待してくれていた家族にも申し訳ないと思って帰宅しました。



ところが、親はため域とともにDさんを迎え
「困ったわね。親戚に合わせる顔がないわ」と言いました。
Dさんが自分を責めて自殺を図ったのも理解できます。



親が不安をコントロールできずに居ると、子どもは無条件の受容を感じるどころか、自分のふなんだけでなく親の不安まで
引き受けなければならなくなり、とても心身が持たないのです。



親が自分の不安をコントロールすることは
子どもに与えられる最高の贈り物の一つ。









■違和感に気づけない


子どもが助けを求めたときではない限り、親が先回りして、子どもが自分の力で挑戦するチャンスを取り上げてしまえば、
「成長したい」「自分の力でやってみたい」という挑戦への欲求が満たされず、深い不満を感じることになります。


そんなとき子どもは、なぜ不満を感じるのか、自分でもわからないかもしれません。
親は自分のためにしてくれたのだから、文句を言うのは理に合わないからです。



「私の事を思ってくれている行動だよね。だけど、なんか納得いかない…」というのは、まさに【境界線が引けずに共感できない親】からの巧妙な不安を押し付けられている子どもが感じている違和感なのだろう。





「境界線みたいな身体が邪魔だね」←男には分からない




女性って、そんなに自分の身体が邪魔だと思っているのかな?

川上さんとか金原さんとかの小説には(主に生理のことだけど)「この思い通りにならない身体を捨ててしまいたい」みたいなことが書いてあった記憶があるし、
「この身体さえなければあなたの心にもっと近づけるのに」みたいな歌詞や少女マンガの作者は女性だ。







これは逆の意味として、「女性は身体を持っている」ということなんじゃないかと思っている。







■男性は自分の身体に注意を払わずに生きている



女性の方はびっくりされるかもしれませんが、男性は「俺には身体がある」ということを、日常的にあまり思っていません。
男性の方は「なんじゃその理論?」と思うかもしれませんが、女性はびっくりするぐらい「私は身体を持っている」ということを日常的に意識して生活しています。



このことは、摂食障害の発症が女性に多いことと関係しているんじゃないかと。
だって「痩せたい」という意味は「他人に見られている身体をスリムにしたい」っていうことで、「痩せた身体を持っている自分」が評価されると分かっているからである。


あとは、女性の方はびっくりするかもしれませんが、男性は生理がないので、基本的に体調が安定しています。
びっくりするぐらい、自分の身体に注意を払うことがありません。

それに、男性は社会から「能力」で評価されるので、「身体」については女性の皆様が自分の身体について気を配る(スタイル・生理への対処)ことはないのです。
(身体を鍛えるのは身体が評価されるのではなく、筋肉が増えたことによってお金を稼げる確率があがるということへの評価を得られると言う意味で、筋肉が増えたというみためについて男性は嬉しいわけではない)




だから、「身体が邪魔で、あなたの心と一つになれないのがもどかしい」というセリフを生み出せるのは女性だけなんじゃないかと思った。
「身体」が「無い」と感じているのであれば、「身体の分だけ君の心の距離がもどかしい」みたいな表現を男性がすることは、おそらくないんじゃないかと。







■女性性という概念

女性性というのが精神分析的に言うと表層的なものを意味しており、そこにいかなる「本質」もないとされます。
比喩的な言い方をすれば、それは女性が「身体」をもっているからです。


もう一度繰り返しますが、「女性性」は、いかなる「本質」もありません
(念のため断っておきますが、もちろんすべての「女性」個人は、「男性」個人と同様、なんらかの本質を持っています。ここで問題にされているのは、「女性性」なる概念です)


それは、女性の身体表面にのみ存在します。
つまり、女性は表層的な存在であるがゆえに、身体を持つことが出来るのです。




これに対して、男性は「身体」を持ちません。


男性にとって肉体とは空気のように透明な存在。



男性が自分の身体を持っていると思い出すのは激しい疲労や痛みといった「問題」が生じる場合だけ。
汗をかく快感というのは肉体を酷使することによって自らの身体性をなんとか確認したいからなのではないでしょうか。

(母は娘の人生を支配する 斉藤環 日本放送出版協会

【コミュニケーション障害≒対人関係の欠如】という気づき








僕には心の支えになっている言葉がある。
この人生を諦めずに呼吸をどうにか続けようとしている支えの言葉がある。


それは、「過食(嘔吐)は対人関係への不満の指標」であるという文言。

これを信じているのであれば、僕やるべきことは「食べる量を根性で健常者と同じくらいにして吐くなんて馬鹿な事を根性で抑えつける」という閉鎖病棟的な我慢ではなく、
「対人関係への不満を募らせる己のコミュニケーションパターンを紐解いて、人とのつながりを作っていく」というコミュニケーションに焦点を当てていけば良いことになる。


このことは、大いに僕を救っている。




実際に、25歳くらいまで自分が「コミュ障」だなんて、思ってもみなかった。
一応、数は少ないけど友達はいたし、いつもつるむような仲間もいたしゲーセンに遊びに行くような友達も中高と居た。


だからこそ、発見が遅れたといってもいいのかもしれないが、僕はコミュニケーション障害だったのだ。


そして、この、「コミュニケーション障害」≒「対人関係の欠如という問題領域」という結論に至った。


「コミュニケーション障害」というと、ぼっちとか対人恐怖とかと引きこもりとか、そういった暗い人間を思い浮かべるが、
僕が思う摂食障害におけるコミュニケーション障害というのは、「温かさを感じられない人間関係しか築けない対人関係パターン」だと思っている。
「弱さを見せてくる友達」に対しては「僕を信用してくれているんだな」と思えていたのに、「自分は弱さを見せたら嫌われるだろう」と思っていたので、誰にも弱さを見せたことは無かった。


「長所を認め合うこと」だけが、他人と認め合える唯一の方法だと思っていたのだ。





まあこれには、幼少期からの対人関係パターンにかなり影響を受けているという事を最近気づいたんだけど、過去を掘るのはあまりIPT的にはよくないことらしいので、ここでは省略。


ただそのほかにも「嫌われたくない」「相手の機嫌を損ねちゃいけない」「仲良くしたいとこんなに思っているのに、なんで無視するんだ!」などなど、
「温かい人間関係が持てない対人パターン」の典型だったので、どこにも安心できる人間関係がなく、いつも緊張していて、あるときに過食嘔吐という悲鳴を心身があげたのだと今となっては理解している。







つまり、友達は居るんだけど、自分の本音を話している相手は、一人も居なかったのだと「対人関係の欠如」という知識から紐解いたのである。



「対人関係の欠如」を問題領域とするのは、「過食」の要素を持つ摂食障害患者であるが、一見対人関係に恵まれている。
明るく、社交的で、いつも人に囲まれているように見えるタイプである。
ところが、本人は自分の本心を打ち明けられず、関係は表面的で、本人は慢性的な空虚感や孤独を感じている。

摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社









以下の引用を参考にしながら、どうか気づいて欲しいことがある。


「友達は沢山居るし恋人も居る、仲間にも恵まれている」摂食障害のあなた。
あなたは、そういう人たちとの関係を継続するために自分を抑え込んで抑え込んで、「いい人」を演じては、過食で「いい人を演じることで感じるストレス」を解消しているのではないだろうか???







僕が気づくのに8年くらいを要した【「コミュ障」≒「対人関係の欠如」】という場所に、どうか8年未満でたどり着いて欲しいなと思っています。
























以下、対人関係療法の治療者とハーブ(女性、40歳前後、100kg前後)のやりとり





********







■前半部ーー過食と対人関係の関連について


ハーブ:
よくわかりません。対人関係療法ではなく認知行動療法のほうが私には合うように感じただけなのです。
私には対人関係の問題がないと思うんですけど、どうなんでしょうか?





治療者:
あなたの対人関係には問題がないと思うのは、つまり…?



ハーブ:
だって、すばらしい対人関係に恵まれていますし、友達もものすごくたくさんいます。
だから、対人関係は問題ではないんです。
私は外交的ですから。






治療者:
対人関係療法について少し説明させてください。
特に、一般的な人付き合いではなく、非常に親しい対人関係の重要性を説明したいのです。
過食の問題を抱えている方たちは、ストレスへの対処が苦手だということがわかっています。
特に、自分で限界を定めることができないのです。
だから、時々、ただ人を喜ばせるだけになってしまったり…。





ハーブ:
そうなんです。





治療者:
人のことばかりを大切にして、その結果、自分を大切にすることができなくなってしまうんです。
だから、自分の気持ちがためこまれたり、無理をしたために怒りが積もったりします。
そうした気持ちを解消するための手段として、食べるようになるのです。




ハーブ:
その通りです。おっしゃったことは全部わたしに当てはまります。





治療者:
そのような考え方をいろいろな面でしてみると、過食をコントロールできるようになると思います。





ハーブ:
だからここに来ているんです。
過食をコントロールできるようになりたいんです。







治療者:
なぜあなたには対人関係療法が効果的だろうかと考えるかというと、あなたが無理をして、他人の事ばかり大切にして、
自分の事を大切にしないという様子を聴いたからです。
そんなことをしていると、結局、腹立たしくなって、誰も自分の事を大切にしてくれないと感じます。
あなたはすべてを与えているのに何も返ってこないのです。
だから、他の人から得られないものを食べ物から得ようとしている事が多いのです。





ハーブ:
私はいつも、食べ物が自分の友達だといってきました。




治療者:
いろいろな意味であなたの言う通りなのでしょうね。
たぶん、あなたの人生において、食べ物だけがコントロールできるもので、いつも手近にあって、いつでも手に居られるものだったのでしょう。
けれどもあなたが自分をもっと大切にし、対人関係で今よりも対等でバランスのとれた関係を持ち、いつも自分が人に与えている一方だと思わなくなれば、
食べ物との付き合い方も変わり、過食をやめることができますね。



(グループ対人関係療法うつ病摂食障害を中心に〜 デニスE著 水島広子訳 創元社















■中間部ーー役割が無い時に他人との距離が分からない

職場では普通に人とやり取りしているように見えることも
少なくありません(明るく元気に見える人すらいます)。
仕事では役割が明らかなので、まだ何とか「要求されるであろうやりとり」ができるのです。

自分の意見を言ったり、自分の悩みを相談したり、という人間としてのコミュニケーションをしているわけではなく
単に、「この立場だったら、こんなことを言っておけば大丈夫だろう」と
思うようなことを言っているに過ぎず、仕事上の一つの課題を何とかこなしているという感覚です。

ですから、より個人的な関係はとても苦手です。

個人的な関係では、役割が明確ではなく、むしろ自分たちで作っていかなければなりません。
「要求されうであろうやり取り」がよくわからないので、
どうしたら良いか分からない、ということになってしまうのです。

対人関係療法で治す「気分変調性障害」水島広子 創元社

















■後半部ーー過食と自分じゃない自分を演じることの負担





治療者:
あなたは人を失望させないことには成功してきたけれども、何年にもわたって過食をすることで、食べ物を使って心のバランスをとってきたのではないでしょうか。
そうしないと生きていくことができないからです。
あなたの過食の程度は、あなたがどれほど人を「あざむか」なければならないか、という指標のようなものではないでしょうか。
あざむくという言葉を否定的な意味で使っているわけではないのですかれど……。






ハーブ:
ええ、私は何百人もの人をあざむいてきました。






治療者:
それは相当きつい重荷でしょうね。
あなたは自分をいい人だと思っているでしょうし、そうであればあなたは正しいことをして、正直でいなければならないのですからね。
でも、あなたがバランスを保つために必要なものが食べ物なのだろうという予感がします。
あなたは揉め事が嫌いだし、人にありのままの自分をわかってもらうのが苦手なんです。
だから、あなたは、核心に触れるのを避けたり、物事を穏便にすませたりして、誰もあなたに失望しないようにするのです。
その心の隙に、食べ物が入りこんでくるのだと思います。


食べ物はあなたの心を鎮め、くつろがせ、物事を忘れさせてくれるのです。
そうすればあなたは何も考えなくてすみますよね。

たぶん、あなたが空き時間を作るのに耐えられないのは、時間が空いた途端、一度に多くの事が押し寄せてくるからではないですか。
ずっと忙しくしていればあなたは安心なのです。




ハーブ:
ええ、そうかもしれません。

(グループ対人関係療法うつ病摂食障害を中心に〜 デニスE著 水島広子訳 創元社

のどが渇いた時には、もう水は無い

ほら、若い頃って徹夜しようと泥酔しようと何とか気持ちで乗り切れたじゃないですか。
無理が利いたって言うか、身体が心に支えられていたんですよね。

けれど、この年齢になると逆だってわかったんです。

身体が心を支えているんだって。

(途方もなく霧は流れる 唯川恵


















■身体の支えがある内に…


何かが欠けていて、摂食障害になった。


その”何か”を理解するまで10年間かかった。


何かが欠けている事を誤魔化して自分を生かしていくために摂食障害に助けてもらってきた。
だけど不健全な行為には副作用があるのは当然。


”欠けていた何か”を掴まえに行こうとした時、身体はもう、その副作用によって役立たずな状態にまで追い込まれてしまった。


目的地を見つけるために犠牲になってくれた身体。
目的地を見つけたときには、立派な犠牲者になった身体。



かなりの確信を持って苦しい自己分析の果てに得た答えなのに、探しにいけない虚しさ。

お宝の位置が記されている宝の地図を奥底から発見したのに、そこにいけない屈辱。

アポイントを取ったのは自分なのに営業成績は上司に持っていかれるような徒労感。
















どうか皆さんは、身体が精神を支えている内に自分の答えを見つけてください。









精神の欠損感を埋めるために身体は貴方を守ってくれています。


貴方の身体がポンコツになる前に目的地を発見し、そこにいける身体を保っていられますように。







女性の方は、新たな命をこの世に迎え入れる際のハンデが、あまりに大きくなってしまわれませんようご自愛を。







精神力とは、身体から発現されている物なのなのだと。

【書籍紹介】摂食障害の発症意義を理解するために


摂食障害発現の意味を理解するために



ネットで摂食障害を検索すると、
摂食障害という病気の病状説明」「あるいは原因」「なりやすい性格」などはヒットするが、具体的に抱えてしまった病状とどう向き合うのかということはあまり書かれていない。


あるいは、摂食障害関連の本には「それができたら苦労しないよ。出来ないから困ってるし病気なんだよ」と思ってしまう正論ばかりが書かれている書籍も沢山あって、げんなりする。


または、「家族との関係が…」「愛情不足です」「規則正しく生活しましょう」などなど、「たしかにそういうこともあるでしょう。じゃあ、それを克服するためにどうすればいいの?」という具体的に取り組むと良い方策も、なかなか書かれていない。




しかし、そんな中、このエントリでは
具体的な改善策が盛り込んである書籍を厳選してみました。



原因を見つけ出して「私の分析力、すごいだろ!」みたいな著者の自己満足のためじゃなく実際に治療に役立つことが豊富に書かれているんじゃないかな?と思っています。




























※私は薬で摂食障害が治るとは思っていません。
SSRIとか食欲増進剤とかは補助程度であって、「医者に摂食障害は治せない」というのが大前提に合ってこれらの書籍を選びました。
(漢方薬は肯定的)























■導入編

焦らなくてもいい!拒食症・過食症の正しい治し方と知識

焦らなくてもいい!拒食症・過食症の正しい治し方と知識


拒食、過食、過食嘔吐が邪魔な存在ではない理由が書かれている。
味方とまでは言わないものの拒食過食嘔吐は憎むべき存在として扱わない方が生産的な付き合い方が出来るのだと私は納得させられた。

A4サイズで読みやすい。



■主に過食・過食嘔吐

拒食症・過食症を対人関係療法で治す

拒食症・過食症を対人関係療法で治す

拒食症の事も書かれているがメインは過食(嘔吐)。
過食と対人関係(≒コミュニケーション)の関連性が書かれている。

コミュニケーション分析の部分だけでも読む価値あり。


「重要な他者とのコミュニケーションがうまくいかない」ことが過食の増悪につながっていることを理解でき、実践に繋げることのできる一冊。








母と子で克服できる摂食障害――過食症・拒食症からの解放

母と子で克服できる摂食障害――過食症・拒食症からの解放

こちらも、過食症がメイン。
家族(主に母親)とのコミュニケーションの不一致が過食の増悪にどう影響しているのかが具体的な症例の経過として描かれている。

拒食症の患者とその両親と主治医で開かれるランチミーティングで、健常者と拒食症者の「食べること」の捉え方の描写は勉強になる。











■主に拒食


6章くらいに別れていて、拒食症の症例は2章分だけ。
だけど、「食べないと死にそうな体重なのに食べてくれない」と心配でたまらない両親には大いにヒントになる内容になっている。

ただ、中高生の娘さんの話なので、成人の娘さんのケースには適応できないかもしれない。




「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち

「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち


「心の傷」と摂食障害との関連性が中心題材。
「痩せること」によって母親に認めてもらいたい、あるいは「痩せる」という非言語コミュニケーションを採用するようになった経緯などが実体験として描かれている。






■痩せることへの執着



体型という見た目。いい人という見た目。
なぜ、「外面での評価だけで自分の全てが決まってしまうと考えてしまうのか」ということが「自分の問題」「相手の問題」という視点で書かれている。

「外見が気になる人はリアルな人間関係が乏しい」という部分は衝撃w










ダイエット依存症 (こころライブラリー)

ダイエット依存症 (こころライブラリー)

「ダイエットは成功しない!」

ダイエットに依存するのは「コントロール感覚」を得るためと言う軸で描かれている。





過食嘔吐・拒食の身体への負担の理解

最新版 拒食症・過食症の治し方がわかる本 (こころの健康シリーズ)

最新版 拒食症・過食症の治し方がわかる本 (こころの健康シリーズ)

 

2冊とも、摂食障害の身体面へのケア、そして、日常生活の中で家族として過食や拒食をする子どもにどういう対応をすればいいのかが書かれている。


生理や齲蝕(虫歯)の話も書かれています。







■食事からのアプローチ

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病


過食を「血糖値の乱れ」という視点で書かれている。
脳の仕組みや栄養学の見地から、過食が起きる仕組みを解説してくれている。

「過食するのは、決まってジャンクフードですよね?」とは、まったくその通りで、ジャンクフードは過食を招くらしいですw


過食症からの脱出―自分で治す実践ガイド

過食症からの脱出―自分で治す実践ガイド

心理面には触れつつも、メインは食事療法。
正しい食事を6ヶ月続けることで過食衝動をなくしていける方法が具体的に提示されている。







リストカットも持っている人へ

自傷

自傷

“消えたい”症候群―リストカットとオーバードーズ 生への処方箋を考える

“消えたい”症候群―リストカットとオーバードーズ 生への処方箋を考える


自分と登場人物に共通点と共感を覚えるかもしれない。
同じ苦しみと同じ育ってきた環境を見出すことが出来るかもしれない。

共感を得たいときには助けになる。






■克服した人たちが心がけたこと


摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学

摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学



社会学の見地から、摂食障害を卒業した人たちにインタビューをして”回復方法”を聞き出している。

ちょっと学問的な要素が前半は多いが、後半からは実際に克服した人たちの”回復の経緯”みたいなものが書いてあって希望をもらえる。






■家族病理

依存症の真相―アダルトチルドレンとADHDの二重奏

依存症の真相―アダルトチルドレンとADHDの二重奏

「やめられない心」依存症の正体

「やめられない心」依存症の正体


主に幼少期に起因する虚しさを埋めるための手段として依存症を利用しているんだ、ということが書かれている。
(痩せることへの依存、食べることへの依存、と考えると摂食障害も依存の一種として考えられる)

依存物(ここでは摂食障害)を手放すためには、人間関係の充実が必須という考え方は共通している。