拒食症は「いい子」から卒業するための病気〜親子病理としての拒食症〜






◇共感欠如≒境界線問題

「あの子、死にたいっていうんです!もうどうしたらいいか…」

「どうして娘さんは死んではいけないのですか?」

「あの子が死んだら、私はどうしたらいいか…私は耐えられません!!」

「そこなんですよ、お母さん。」
「お母さんは『娘が死んだら困る私』という私のことばかり考えていて『死にたいほど追い詰められている娘』さんの状況を思いやれていないんです」
「『娘さんを失う私』の事じゃなくて『死にたいほどの状況を抱えている娘さん』の心情を否定しないで下さい」









上記は世界仰天ニュースで摂食障害の女性の特集を放送していたときの母親と支援者のやりとりです。
(脳内記憶なのでこの通りだったかどうかは確信は無いけど)


この中に、すごく重要なこと描かれていると思っている。
何かというと、母親が「共感」が出来ない&「境界線問題」を抱えているということ。






■「死にいたい娘の心情」よりも「娘を失う私」を優先している

「死ぬなんてバカなこといわないでちょうだい!」というのは一見、娘の事を心配しているようにみせかけて、実は、
この母親が自分自身の不安を娘に背負わせているのである。


気持ちと行動というのは必ずしも一致しているわけではない。
「死にたい」気持ちが本当に「自殺」をしたいということとイコールにはならないのである。


「死にたい!」と訴えるのは「死にたいほど辛い私の気持ちを分かって!!」ということを伝えているのである。
「気持ちを分かって欲しい」という願いは「死ぬなんてバカなことを言わないで!」という返しでは叶えられない。




「そうだね。病気を抱えていて死ぬほど辛いよね」。
これが共感であり境界線が引かれている親子(あるいは人間)関係である。


たとえどんなに母親を心配させ不安にさせるような言動を娘がしたとしても、
娘の気持ちを否定してはいけないのである(本当に死のうとしている場合の”行動”は止めるべきである)


境界線問題を抱えている人、ようするに、「自分の不安」と「娘の気持ち」が別物であることを理解していない母親の事を指すのである。



そして、境界線がきちんと引けていない母親は娘に共感することが出来ない。


「あなたには死んで欲しくないけど、あなたが死にたいほど辛いということは理解しているよ」
というのが境界線が引けていて共感が出来る親の「死にたい!」に対する返しである。




■心配という名の自己チュー


娘の言動や行動によって喚起された親側の不安をどうにかしたいがために、
娘に「バカなことを言ってんじゃないの!」と言ってしまう母親は、娘を心配しているのではなく、母親の不安をどうするかに目が向いてしまっていて、
残念ながら、娘の支えにはならないだろう。(むしろ悪化させる最大要因かもしれない)



境界線が引けなくて共感できない親というのは、要は、いろいろな心配事を患者にぶつけて何とかするように求める家族、ということである。

「死にたい!と助けを求める娘の心)よりも「死にたいと言われて動揺している私(母親)」をどうにか安心させて欲しいと思ってしまっているのだ。



摂食障害の人は基本的に優しい人なので、自分がどうしようもなく辛い状況下であっても、こうした家族の不安を背負おうとしているのである。
境界線が引けていない親の事情までも「心配をかけないようにしなきゃ」として、自分の治療に専念できないのである。
(子どもが苦しんでいる姿をみていることに耐えられない親がなんと多いことか。子どもは治療を受けているのだから苦しいのは当然なのに。
 子どもが苦しむ姿を見ている自分のために、子どもに”苦しむな!”と言っている親は子どもではなく自分のニーズを優先していることに気づいているのだろうか…)







■親の不安を解消する > 子どもに必要なこと

「子どものため」を思える親、すなわち境界線が引けている親であれば
「治療を受けて苦しむのは本人がよくなるためのステップなんだ。親も子どもが苦しむ姿に耐えなければ」と思えることだろう。
「子どもが苦しむ姿を見ていられない」というとき、親は何を考えているかと言うと、「苦しい治療でよくなる子ども」ではなく、
「子どもが苦しんでいる姿に耐えられない”自分”」なのである。












○(摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社)より以下引用

■病気につながったパターンに気づく

拒食症の発症前の価値観として多く見られる「何でも自分一人の努力で乗り越えなければならない」という感覚は、
家族との関わりの中で作られることが多い。その一つの形が、過干渉な家族である。

過干渉な家族というのは、要は、いろいろな心配事を患者にぶつけて何とかするように求める家族、ということである。
そこで求められている患者の役割は「家族を心配させないように自分の努力で何とかする」というものになる。

これは拒食症につながる価値観そのものである。

このパターンは、病気になった後も続くどころか一般にはエスカレートする。
家族は心配を患者本人にぶつけ、何とかするようにと要求する。

「そんなに痩せたら死んでしまうでしょ?」
「生理が止まってしまって、将来子どもが産めなくなったらどうするの?」
「とにかく食べて」


などという言葉は、要は「あなたを見ていると心配だから、私を心配させないように、自分で何とかして」という意味である。


実際には、病気を自分ひとりの努力でコントロールすることなどできないので、結果として本人はどんどん追い詰められていく。





過干渉の他に目に付くのは、本人のペースの軽視である。
本人のペースを尊重せずに、自らのペースで振り回す家族は多い。
これは随所に現われる。

摂食障害患者を多く診ていて印象的なのは、特に制限型の拒食症の患者の予約のやりとりの中で、
「ご本人の都合はいかがでしょうか」と受付スタッフが聴くと「大丈夫です。つれていきます」というような返答が即座に返ってくる場合が多いということである。

このような家族の姿勢は、医療現場ではそれほど違和感を抱かれないものだが注目してみると家族関係のパターンが分かることが多い。
家族が受診させたがっているという事情だけが重視され、患者本人はどう思っているのかということが置き去りにされてしまうのは、
初診の予約に限られた話ではなく、病気についてのやりとり全般にそして、患者と家族とのやりとり全般に見られる傾向である。

そうやって家族が患者を自らのペースに巻き込むことも、治療においては阻害的に働く。




ちなみに、自分のペースで患者を振り回している家族には、少なくとも当初は「病識」がない。
そしてそのような家族に限って、「患者本人に振り回されている」と訴えるものである。

親のペースで進まないということになると「振り回されている」という感覚になってしまうのだ。

拒食症になる子どもは「いい子」が多いといわれるが、それは「親のペースに振り回される子」と言い換えても良いものである。
「いい子」のままでは病気を治すことができない。拒食症は「いい子」から卒業するための病気であるとも言える。






■親が自分の不安をコントロールできない

過保護と言うのは大人が
「子どもに任せておいたら失敗するのではないか」という
親が自分の不安をコントロールできないがゆえに起こるもので子どものためでなく、自分のための行為です。






■過保護といい子は要注意


過保護というのは、大人が先回りして「正解」を教えてあげたり、
代わりにやってあげたりすることを言います。


これは子どものためにやっているように見えますが、
実際は、大人が「子どもに任せておいたら失敗するのではないか」という自分の不安をコントロールできない結果として起こります。








■親の不安をコントロールする



親の不安のコントロールが課題になるのは
過保護だけではありません。



高校生のBさんは、友達関係の悩みから不登校になってしまいました。
学校に行かなければと思ってはいるのですが、
どうしても行くことができないのです。


本人はそのことでかなり悩んでいます。
学校に行けない自分を落伍者のように感じ、こんなことでは将来どうなるのだろうか、と不安です。


とこどがBさんはその不安を両親に話すことが出来ません。
なぜなら、両親が
「学校に行かないと人生の落ちこぼれになるぞ」
「何とかしていけないの?」と、自分たちの不安をBさんに押し付けてくるからです。


Bさんはただでさえ不安なのに、両親にその不安をあおられ
さらに、親から新たな悩みを植え付けられます。

それは「Bみたいな子どもがいて、自分たちには本当に迷惑だ」という親からのメッセージなのです。

こういう重圧に耐えられなくなってBさんは
親が無理やり学校にいかせようとすると、暴れるようになりました。

その姿をみて、親は「ついに家庭内暴力まで始まった。この子はどうなるのだろう?」と
ますます不安を募らせ、子どもにその不安を押し付けていきます。

Bさんの不安と悩みはさらに深まり、事態はさらに悪化していきました。


子どもが失敗をした場合も同じです。
子どもはすでに自分を責めている場合が多いのです。
受験に失敗したDさんも、死にたいくらいに落ち込み
期待してくれていた家族にも申し訳ないと思って帰宅しました。



ところが、親はため域とともにDさんを迎え
「困ったわね。親戚に合わせる顔がないわ」と言いました。
Dさんが自分を責めて自殺を図ったのも理解できます。



親が不安をコントロールできずに居ると、子どもは無条件の受容を感じるどころか、自分のふなんだけでなく親の不安まで
引き受けなければならなくなり、とても心身が持たないのです。



親が自分の不安をコントロールすることは
子どもに与えられる最高の贈り物の一つ。









■違和感に気づけない


子どもが助けを求めたときではない限り、親が先回りして、子どもが自分の力で挑戦するチャンスを取り上げてしまえば、
「成長したい」「自分の力でやってみたい」という挑戦への欲求が満たされず、深い不満を感じることになります。


そんなとき子どもは、なぜ不満を感じるのか、自分でもわからないかもしれません。
親は自分のためにしてくれたのだから、文句を言うのは理に合わないからです。



「私の事を思ってくれている行動だよね。だけど、なんか納得いかない…」というのは、まさに【境界線が引けずに共感できない親】からの巧妙な不安を押し付けられている子どもが感じている違和感なのだろう。