【コミュニケーション障害≒対人関係の欠如】という気づき








僕には心の支えになっている言葉がある。
この人生を諦めずに呼吸をどうにか続けようとしている支えの言葉がある。


それは、「過食(嘔吐)は対人関係への不満の指標」であるという文言。

これを信じているのであれば、僕やるべきことは「食べる量を根性で健常者と同じくらいにして吐くなんて馬鹿な事を根性で抑えつける」という閉鎖病棟的な我慢ではなく、
「対人関係への不満を募らせる己のコミュニケーションパターンを紐解いて、人とのつながりを作っていく」というコミュニケーションに焦点を当てていけば良いことになる。


このことは、大いに僕を救っている。




実際に、25歳くらいまで自分が「コミュ障」だなんて、思ってもみなかった。
一応、数は少ないけど友達はいたし、いつもつるむような仲間もいたしゲーセンに遊びに行くような友達も中高と居た。


だからこそ、発見が遅れたといってもいいのかもしれないが、僕はコミュニケーション障害だったのだ。


そして、この、「コミュニケーション障害」≒「対人関係の欠如という問題領域」という結論に至った。


「コミュニケーション障害」というと、ぼっちとか対人恐怖とかと引きこもりとか、そういった暗い人間を思い浮かべるが、
僕が思う摂食障害におけるコミュニケーション障害というのは、「温かさを感じられない人間関係しか築けない対人関係パターン」だと思っている。
「弱さを見せてくる友達」に対しては「僕を信用してくれているんだな」と思えていたのに、「自分は弱さを見せたら嫌われるだろう」と思っていたので、誰にも弱さを見せたことは無かった。


「長所を認め合うこと」だけが、他人と認め合える唯一の方法だと思っていたのだ。





まあこれには、幼少期からの対人関係パターンにかなり影響を受けているという事を最近気づいたんだけど、過去を掘るのはあまりIPT的にはよくないことらしいので、ここでは省略。


ただそのほかにも「嫌われたくない」「相手の機嫌を損ねちゃいけない」「仲良くしたいとこんなに思っているのに、なんで無視するんだ!」などなど、
「温かい人間関係が持てない対人パターン」の典型だったので、どこにも安心できる人間関係がなく、いつも緊張していて、あるときに過食嘔吐という悲鳴を心身があげたのだと今となっては理解している。







つまり、友達は居るんだけど、自分の本音を話している相手は、一人も居なかったのだと「対人関係の欠如」という知識から紐解いたのである。



「対人関係の欠如」を問題領域とするのは、「過食」の要素を持つ摂食障害患者であるが、一見対人関係に恵まれている。
明るく、社交的で、いつも人に囲まれているように見えるタイプである。
ところが、本人は自分の本心を打ち明けられず、関係は表面的で、本人は慢性的な空虚感や孤独を感じている。

摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社









以下の引用を参考にしながら、どうか気づいて欲しいことがある。


「友達は沢山居るし恋人も居る、仲間にも恵まれている」摂食障害のあなた。
あなたは、そういう人たちとの関係を継続するために自分を抑え込んで抑え込んで、「いい人」を演じては、過食で「いい人を演じることで感じるストレス」を解消しているのではないだろうか???







僕が気づくのに8年くらいを要した【「コミュ障」≒「対人関係の欠如」】という場所に、どうか8年未満でたどり着いて欲しいなと思っています。
























以下、対人関係療法の治療者とハーブ(女性、40歳前後、100kg前後)のやりとり





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■前半部ーー過食と対人関係の関連について


ハーブ:
よくわかりません。対人関係療法ではなく認知行動療法のほうが私には合うように感じただけなのです。
私には対人関係の問題がないと思うんですけど、どうなんでしょうか?





治療者:
あなたの対人関係には問題がないと思うのは、つまり…?



ハーブ:
だって、すばらしい対人関係に恵まれていますし、友達もものすごくたくさんいます。
だから、対人関係は問題ではないんです。
私は外交的ですから。






治療者:
対人関係療法について少し説明させてください。
特に、一般的な人付き合いではなく、非常に親しい対人関係の重要性を説明したいのです。
過食の問題を抱えている方たちは、ストレスへの対処が苦手だということがわかっています。
特に、自分で限界を定めることができないのです。
だから、時々、ただ人を喜ばせるだけになってしまったり…。





ハーブ:
そうなんです。





治療者:
人のことばかりを大切にして、その結果、自分を大切にすることができなくなってしまうんです。
だから、自分の気持ちがためこまれたり、無理をしたために怒りが積もったりします。
そうした気持ちを解消するための手段として、食べるようになるのです。




ハーブ:
その通りです。おっしゃったことは全部わたしに当てはまります。





治療者:
そのような考え方をいろいろな面でしてみると、過食をコントロールできるようになると思います。





ハーブ:
だからここに来ているんです。
過食をコントロールできるようになりたいんです。







治療者:
なぜあなたには対人関係療法が効果的だろうかと考えるかというと、あなたが無理をして、他人の事ばかり大切にして、
自分の事を大切にしないという様子を聴いたからです。
そんなことをしていると、結局、腹立たしくなって、誰も自分の事を大切にしてくれないと感じます。
あなたはすべてを与えているのに何も返ってこないのです。
だから、他の人から得られないものを食べ物から得ようとしている事が多いのです。





ハーブ:
私はいつも、食べ物が自分の友達だといってきました。




治療者:
いろいろな意味であなたの言う通りなのでしょうね。
たぶん、あなたの人生において、食べ物だけがコントロールできるもので、いつも手近にあって、いつでも手に居られるものだったのでしょう。
けれどもあなたが自分をもっと大切にし、対人関係で今よりも対等でバランスのとれた関係を持ち、いつも自分が人に与えている一方だと思わなくなれば、
食べ物との付き合い方も変わり、過食をやめることができますね。



(グループ対人関係療法うつ病摂食障害を中心に〜 デニスE著 水島広子訳 創元社















■中間部ーー役割が無い時に他人との距離が分からない

職場では普通に人とやり取りしているように見えることも
少なくありません(明るく元気に見える人すらいます)。
仕事では役割が明らかなので、まだ何とか「要求されるであろうやりとり」ができるのです。

自分の意見を言ったり、自分の悩みを相談したり、という人間としてのコミュニケーションをしているわけではなく
単に、「この立場だったら、こんなことを言っておけば大丈夫だろう」と
思うようなことを言っているに過ぎず、仕事上の一つの課題を何とかこなしているという感覚です。

ですから、より個人的な関係はとても苦手です。

個人的な関係では、役割が明確ではなく、むしろ自分たちで作っていかなければなりません。
「要求されうであろうやり取り」がよくわからないので、
どうしたら良いか分からない、ということになってしまうのです。

対人関係療法で治す「気分変調性障害」水島広子 創元社

















■後半部ーー過食と自分じゃない自分を演じることの負担





治療者:
あなたは人を失望させないことには成功してきたけれども、何年にもわたって過食をすることで、食べ物を使って心のバランスをとってきたのではないでしょうか。
そうしないと生きていくことができないからです。
あなたの過食の程度は、あなたがどれほど人を「あざむか」なければならないか、という指標のようなものではないでしょうか。
あざむくという言葉を否定的な意味で使っているわけではないのですかれど……。






ハーブ:
ええ、私は何百人もの人をあざむいてきました。






治療者:
それは相当きつい重荷でしょうね。
あなたは自分をいい人だと思っているでしょうし、そうであればあなたは正しいことをして、正直でいなければならないのですからね。
でも、あなたがバランスを保つために必要なものが食べ物なのだろうという予感がします。
あなたは揉め事が嫌いだし、人にありのままの自分をわかってもらうのが苦手なんです。
だから、あなたは、核心に触れるのを避けたり、物事を穏便にすませたりして、誰もあなたに失望しないようにするのです。
その心の隙に、食べ物が入りこんでくるのだと思います。


食べ物はあなたの心を鎮め、くつろがせ、物事を忘れさせてくれるのです。
そうすればあなたは何も考えなくてすみますよね。

たぶん、あなたが空き時間を作るのに耐えられないのは、時間が空いた途端、一度に多くの事が押し寄せてくるからではないですか。
ずっと忙しくしていればあなたは安心なのです。




ハーブ:
ええ、そうかもしれません。

(グループ対人関係療法うつ病摂食障害を中心に〜 デニスE著 水島広子訳 創元社