「本音(気持ち)を受け止めてもらえない」ということ

以前、拒食症の女の子が
「信じられるのは自分だけだ」ということを言っていた。

その子の母親も「信じられるのは自分だけだ」と口癖のように言っている。

けれども、自分だけしか信じられないということは本当は自分の事も信じられないということなんですね。

要するに、誰も信じられないということです。

究極は自分も信じていないということなんです。


誰も信じられないということは自分を信じてくれる人がいなかった、
自分を愛してくれる人がいなかったということなんです。

孤独や孤立の裏側は自分勝手さでしょう。

(続 子どもへのまなざし 佐々木正美 福音館書店)より















「辛くて死にたい」という”気持ち”は、どこへ行ったの??

FIREのCMで
江口洋介さんが息子に向かって語っていた言葉。



「母さんから電話で聞いたよ。お前がピッチャーじゃなくてライトを任されたこと。
 でもな、ライトにはライトにしか出来ない仕事があるんだ」



これが父と息子の美しい会話として一般的になされている会話だとしたら、少し残念なような気がした。
だって、子どもの悔しさを大人が受け止めてあげていないから。









確かに、ライトフライはライトにしかとれないし捕殺もタッチアップを防ぐこともライトにしかできない役目かもしれない。
しかしながら、「ピッチャーをやりたかったのにやらせてもらえなかった子どもの悔しさ」はどこに行ったのだろう?


このCMの中の息子さんが小4くらいだと仮定しよう。
たとえ中学生だとしても、やっぱり、まだまだ大人(両親)が「心を守ってあげなきゃ」ならない年齢であると思う。



心を守るというのは端的に言えば「気持ちを受け止めてもらえた」と感じれることだと思う。



仲間や監督の前では気丈に振る舞い、ピッチャーに選ばれた仲間には頑張れよ!などと励ましているかもしれない。
だけど、家に帰ったら、そういう”大人の振る舞い”を脱ぎ捨てて、本当の気持ち、「選ばれなくて悔しかった」という気持ちを、
誰かに喋って、受け止めて欲しいのではないだろうか。



そうやって、悔しい気持ちを受け止めてもらえてこそはじめて子どもは現実の世界に自分を適応させていこうと思える。


、子どもにだって、自分と仲間のどっちが実力が上かということはわかるから、
ちゃーんと与えられた役割、ライトの守備に全力を注ぐだろう。もちろん、ピッチャーに選ばれた子を恨むことは無いだろう。




ライトにはライトにしか出来ない、というのは大人の社会での価値観。
子どもは「ピッチャーになれなかった口惜しさ」を抱えているのに。


社会的な正しさ、ではなく「子どもが抱えている気持ちを分かってあげる=共感」が現代社会には圧倒的に足りないし心の病になる様な子どもの親は、共感が圧倒的に足りない。




このCMの例でいえば「ピッチャーをやれなくて悔しかったな」というように、子どもが抱えているであろう気持ちを予想し、
その気持ちを言葉にさせて、その気持ちをちゃんと受け止めてあげる。
それこそが「心を守る」役割なのだと思う。



社会的な正しさ、あるいは社会のルールとしての正しさ、みたいなものを教えることも大人の役目だろう。
しかしながら、その前に子どもの思い・気持ちに共感してあげる。この基礎工事ができてこそ、ルールを受け入れていくことが出来るのだ。




















誰も信じることの出来ない拒食症患者は、辛い気持ちを分かってくれる相手が誰も居ないのだろう。
そして、拒食症患者の親もまた、だれからも「心を守ってもらった経験」がないのだろう。
だから、誰も信じられないし、「気持ちを受け止めてもらった嬉しさ」を親自身が経験していないのだから、そうして欲しいと思っている子どもの心など守れるわけが無い。


そうやって、誰も信じられない親から誰も信じられない子どもが育って、子どもの中にある辛い気持ち、誰かに受け止めて欲しい気持ちは未消化のままになっていて、言葉の代わりに拒食症という症状が親に辛さを訴えているのだ。

























○本当に言いたいことは言えていない

25歳の拒食症の娘さん(井上彩花)さんが母親に連れられてやってきた。
大学を出て就職したが半年で出社できなくなり、そのまま自宅にいる。


問題なのは拒食症で、みるみる痩せてきて身長155なのに体重が34キロになってしまった。
高校生の時にも同じような体重になり、心療内科に入院したことがある。


彩花さんはもう立派な社会人なのに母親の前では声も小さくなってうつむいて黙っている。
まるで小学生のようである。

概要を聞いた後に彩花さんと二人にしてもらった。
そこで彩花さんは次のように言った。


「もうだめなんだ」ということをお母さんに言ってしまった。(そんな言葉を)吐き出してしまった。
 お母さんは善意で「頑張って治そう、しっかりして」と言ってくれるのに…。

私いろんなことを我慢して頑張ってきたのに、分かってもらえなくて…お母さんの前で泣き出してしまった。
でも、お母さんはどうして私が泣いたのか分からなくて困っていた。
お母さんは話さないと分からないというけれど、
いつも私が同じことを言ってうんざりしているみたいで…もう話せない。

(生まれ変わる心 高橋 和巳 筑摩書房




娘の辛い気持ちは後回しにされている。
とにかく、前向きに病気を治そう、と。


前向きにしなきゃいけないことは本人が誰よりも分かっている。
お母さんに言って欲しいのは、そういうことじゃない。


「私は辛い」という気持ちをただ、聞いて欲しいだけなのだ。
25年間、そうやって「正しさ」ばかりを押し付けてきた母親に拒食症という症状が語りかけているのだ。















○不安を抱えている親は子どもを受け止めることなど出来ない

■愛情飢餓を抱えたお母さんに育てられた


由美さん(33)はすぐイライラしたりカッとなってしまうことに悩んでカウンセリングに来られました。
由美さんはご主人への怒りを話していくうち、もっともつらいのは、「私を必要としてくれない」ことだと気づきました、

そしてカウンセリングを重ねるうちに「必要とされることに依存」していることに気づいたのです。



由美さんは、サラリーマン父と専業主婦の母という中流家庭で育ちました。
お母さんはとても神経質な人で、いつも何かと不安を見つけ出す人でした。
自分の健康の事、お父さんの会社の経営状態、由美さんの成績など。
そのうえ由美さんは、毎日のように愚痴を聞かされて育ったそうです。
お父さん、近所の人、医者への愚痴など。


由美さんが愚痴を聴かないと、すごく怒りました。
でも、由美さんの愚痴は聴いてくれなかったそうです。
お母さんに不満や要求を言おうとすると、「お母さんはこんなに大変なのに、そんな事言わないでちょうだい!」と拒否されます。

由美さんのお母さんは、長年にわたって強い愛情飢餓を抱えている人です。
無意識のうちに由美さんに求めることで、愛情飢餓を満たそうとしていたのです。

(「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる! 古宮昇 すばる舎





「不安なんか、親以外の人間に話せばいいじゃないか」と、健全なコミュニケーションパターンを持っている人たちは思うだろう。
しかしながら、子どもが小さい頃に学んだルールは、根強くその子どもの人生に影響を与え続けている。

つまり、「気持ち(本音)を話す=相手(親)には受け止めてもらえない」というルールを持っていると、
学校でも職場でも、親との関係によって作られたルールが子どもを縛る。
「弱音や愚痴を言いあいながら人間は支えあっている」とは到底思えず、
本音を溜め込んでしまうし、弱さを見せない人間に他人は親近感を持たずに孤独を誘う。




それだけ、原家族で学んだ「人間とは」というルールは、根強いのである。





















○境界線を越えずに共感(肯定)してあげる









■とにかく話を聞く

アドバイスや質問をしたくなるのは、親として自然な反応です。

でも、話し手にとっては「何を話しても大丈夫ではない」というメッセージになってしまいがちです。
少なくとも、うつ病摂食障害の場合、自分のだめさ加減や将来への不安について、
患者さんはすでに悩みつくしています。
考え付く努力や我慢も、すべて話しています。

そんな状況でどんなに気の利いた(つもりの)アドバイスをしても患者さんは
「そんなことは、とっくにわかっている。できない自分の辛さなんてわかってくれないんだ。
 やっぱり私の気持ちなんて聞いてくれないんだ」と感じます。

そして、話すのが嫌になってしまいます。




■どんな気持ちも受け止める


問題を解決していくためにはネガティブな感情を引き起こした相手に直面しなければならないこともありますが
まずは家族など身近な人が聞いてあげることで十分なのです。



ところが、家庭にとって
ネガティブな感情をただ受け容れるのは難しいことでたいていは、ついつい解決してあげたくなってしまうものです。
病気の子どもがネガティブな感情にとらわれ苦しんでいる姿を
ただ見ているのはツラいからです。


「気にしなければいい」とか「そんなの、誰にでもあることだから」などという気休めが出てきてしまうのはそのためです。
家族によっては子どもの怒りに恐れをなしてとにかく謝ってしまう人も居ます。

(10代の子をもつ親が知っておきたいこと  水島弘子 紀伊国屋書店










■信じれる相手に本音を言えることが癒しにつながる

人間は話すだけで楽になったりするんだから、まったくかわいい生き物であるなあ

(憤死 綿矢りさ 河出書房新社





何を話しても大丈夫。
たとえ世間的には言葉にしてはいけないようなことを言ったとしても、目の前に居る人は否定せずに聴いてくれる。
そういう安心感が人を楽にし癒していく。そして自分を否定しないで受け入れてくれる相手のことを「信じる」ことが
本当の意味で出来るのではないだろうか。

本音を言える相手が居ないのであれば、それはどれだけの人間に囲まれて恵まれている人間関係を持っているようにみえたとしても、
その人は誰も信じることは出来ないし癒される機会はいつまでも無いのではないだろうか。






































※本音を聞ける親ばかりではない

■家族のプロセスの尊重と患者への安心提供


家族には家族のプロセスがある。

患者の場合には症状による直接の苦しみや、自分に問題があるという自覚のために、また、年齢も若いために、プロセスが早く進むこともある。
特に、摂食障害の患者は、ひとたび治療者を信頼してくれると、その信頼は強固となるため、プロセスは進みやすい。

一方、親の場合は、自分の問題だという自覚に乏しく、自分自身は健常者として生きており、また、年齢も高いため、プロセスに手間取ることも多い。
母親の方は、自分の言動の結果がどういう悲劇につながるのかを身をもって知るまでは、治療の土台にすら乗ることができなかったわけである。

親のプロセスをどこまで待つのか、ということについては個別の判断になろう。
親をいたずらに待っていると、時には子どもの命さえ脅かすことになる一方、性急に親を見限ると、子供は強い罪悪感を抱き、結局は親にしがみつくことになる。

摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社





続 子どもへのまなざし (福音館の単行本)

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10代の子をもつ親が知っておきたいこと

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