コントロールの及ばない世界への恐怖

当人は、発症前から陰伏的に自己、他己、事物を思い通りにコントロールしたいという欲求を抱いているが発症後の食行動の異常はそのような望みを半端ないしは錯覚的に満たしてくれる有力な道具となる。この道具は自動的ないしは意図的に身近な他者を振り回す武器となる

摂食障害治療のこつ 下坂幸三)




◇コントロール感覚を満たせる世界


拒食症患者の「絶対太りたくない」という意味を改めて認識。
彼女達は体重計が示してくれる「数字上」での意味で、数字が増えて欲しくない、それは数字を”コントロールしたい”ということなのだ。


そうでなければ、両穴から出ている鼻毛という「見た目(外見)」を白昼堂々と晒せるわけがない。




彼女達を怖がらせる因子は、いったい何なのだろうか。
きっと彼女達の人生の道のりのどこかで、自分の思い通り、自分がコントロールできない世界を強烈に恐れるようになってしまった何かが体験されたのだろう。




社会活動というのは、個人のコントロールが到底及ばない場所で、それでも営んでいくことだ。


体重計の数値は不健康だとしてもコントロールできるだろう。あるいは、主治医、看護師、馬鹿な男、そして親でさえも、従順な不利をして相手に満足感を与えつつ、自分の望みへの道具として上手に利用し、得たい結果をコントロールできるだろう。これはある意味で素晴らしい才能だ。




ただ、である。




ただ、社会、あるいは人生というのはコントロールが到底及ばない世界。コントロールの及ばない世界へ歩を進めることを恐れ、自分がピラミッドの頂点にいて思い通りコントロールできない要素を排除した世界に必死に棲み続けようとする。自分のコントロールが及ばない場所を圧倒的に恐れているトラウマ。


自分ガコントロールの権限を持っていて、すべての事象について、自分の安全が確保されていていないと不安で恐怖で、どうしようもない…いわゆる3方向への安心感が大きく欠如しているのだろうと想われる。


そうでなければ、コントロールの届かない場所でも人間は、そこそこ、安心感(世界は平和)という感覚を持って生きれるはずなのだ。






処方箋としては、まずは体重への執着は何を意味しているのかを気づくことから始まる。彼女達が、コントロールの及ぶ体重計という数値、あるいは操りやすい人間関係。そういった「”コントロールの及ばない世界”を恐れているんだ」ということに、気づけるかどうか。


そして、曖昧な世界を毛嫌いするようになってしまったトラウマ的体験の衝撃は癒されているのかどうか。自分のコントロールの及ばない場所で起こる出来事を、どうして強烈に恐れるのか…このあたりの内省が間ない限りは、体重について言及しても不毛なイタチゴッコが続くだけだろう。






摂食障害治療のこつ

摂食障害治療のこつ