自分に裏切られ続けるのならば、最悪を想定する自分にも裏切られたい

生きてたらいろいろあるよ。

でもね、何年か経ったらどんなことでもたいしたことじゃなかったって分かるから。
人間はさ、そうやって毎回自分に裏切られながら生きていくしかないんだよ

自分に裏切られながら生きていくとはどういう意味だろうか。
いま、苦しくて仕方がないことでも、やがてはどうしてあんなことで悩んでいたのだろうか、


誰が誰を裏切るのだろう。将来の自分が今の自分を裏切る?
そういう意味なのだろうか。

「自分の信念を貫くだけで、周りの人がこんなに傷つくなんて思いもしなかった…」

(ほかならぬ人へ 白石一文 祥伝社)より抜粋




















「もうダメだ!ここまでなんとか来たけれど、もう疲れた…」っていう夜をどれだけ耐え抜いたなら、僕達はそこに辿り着けるのだろうか。


自転車に乗ることが出来るようになってしまったら、自転車に乗れない自分に戻ることは不可能なのかもしれない。
普通じゃ出来ないことができるようになってしまった境目の日から、普通に戻ることを、普通を、忘れてしまった。




どうしようもなくて、わかがわからなくなると、ほんとに、今すぐ消えたいって思うよね。「死にたい!死にたくない!!」ってユラユラしている間に少しでも時間が流れて、少しでも死にたい気持ちが消えていくといいね。







裏切られ続けるのであれば、「もう限界。やめたい。」って思っていた自分に裏切られることがあってもモいいはずだ。


「もう生きられない。生きたくない」っていう思いに独占された自分にも裏切られるのであれば、
いつかは苦しかった過去に変わるはず。




ほかならぬ人へ

ほかならぬ人へ

不自由な心 (角川文庫)

不自由な心 (角川文庫)

私という運命について

私という運命について