(慢性の)摂食障害患者における”対人関係の欠如”について




摂食障害における「対人関係の欠如」









○導入知識





■「症状は仕方ないので、それはさておき」


通常、摂食障害への治療といえば、
食べ方とか体型についての感覚に焦点をあてていくと思われるでしょうが
対人関係療法では「病気」を明確にします。


摂食障害であれば、
「痩せたい気持ち」「太るのが怖い気持ち」や、症状としての過食を
「病気の症状なのだから仕方がない」ととらえ、
それによって人間関係が振り回されないようにするのです。


「どうしてあなたはそんなに体型を気にするの?」というところから、
「体型を気にする病気になっているのだから仕方がない」というところに
シフトして、どのようなストレスによって症状が強くなるかを診ていきます。







対人関係療法における4つの問題領域


・悲哀…重要な人の死を十分に悲しめていない


・役割をめぐる不一致…重要な人との不一致


・役割の変化…生活上の変化にうまく適応できない





・対人関係の欠如…上の3つの問題領域のいずれにもあてはまらない→
親しい関係がない






■実は出番の少ない「対人関係の欠如」


対人関係療法は、現在進行中の対人関係に注目していく治療法です。
でも、中には現在進行中の重要な人間関係がない、という人もいます。





そういう人で「悲哀」「役割をめぐる不一致」「役割の変化」の3つの領域が
いずれもあてはまらない場合、専門的には「対人関係の欠如」と呼ばれるものを
問題領域として選ぶことになります。


これは、よくわかりやすくいえば
「人間関係を作ったり維持したりすることの難しさ」ということです。


ところが、実際に「対人関係の欠如」の出番は殆ど無いのです。






それは、気力の低下や自信のなさのために対人関係を
避けるようになる「結果」として起こってくるものです。
(IPTにの考え方によれば、この場合、「役割の変化」への対応がうまくいっていない)




「病気の経過の中で人との関わりを絶ってしまったタイプ」の人は、
依然親しかった人たちに連絡をしてみることをお勧めします。




「周りの人に満足できないタイプ」の人たちは
他の人たちに対して、「痩せているね」とか「ダイエットできるなんて強いね」などと
体型に全てを欠けている自分の姿を賞賛し安心させてくれない人は要らない。などと断つ。




















誰と居ても独りぽっち 〜対人関係の欠如という問題領域〜


■本当の対人関係とは


「本当の人間関係」というのは、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちも聞き、
心のレベルで交流が行われるもの。


しかし、病気の自分を隠すために、たとえ親しいと思えていた人たちとの交流でも、
本当の自分の気持ちを抑えながら接する傾向が強くなるために、本当の対人関係が失われることになる。







摂食障害の社会的引きこもり(=食の共同不能摂食障害を背負った自分を隠す)



過食章の人などは、いつも人に囲まれて見える人も居る。
社交的でみんなのリーダー的な存在であることも多い。


ただそれは、実は当人にしてみれば表面的であり、
慢性的な空虚孤独、不安で自己表現できない場合が多い。



なぜなら、過食症になりやすい人は、他人の気持ちに過敏であったり、自分の事情を押し殺して、
他人に奉仕して人気を得たいというパーソナリティに起因していることが多いからだ。


他人に振り回される、自己主張できない、気持ちを話すとネガティブな出来事を避けて、
「誰からも愛されよう」とするので疲弊して過食を繰り返す、という展開。








■病気は対人関係を楽にするチャンス


拒食症の人は人を避けるようになるが
過食症の人は社交的で人に恵まれるて居るように見える





摂食障害の人にとってコミュニケーションが大きな課題だということ。


そもそも摂食障害の症状そのものが
一種の非効率的なコミュニケーションであることに気づかれたでしょうか。

拒食症の人は、自分の辛さを「痩せること」で表現しています。
過食症状を持っている人は
対人関係のずれに直面したときや、トラブルに見舞われようとしたときに、
症状がひどく出ます。


もちろん、過食症の人の中には一見、明るくて社交的な人がいます。


過食症の患者さんや「過食を伴う拒食症」の患者さんは
ダイエットが成功して痩せてくると
派手な化粧や服装になったり、
自分の痩せた身体を誇示するような外見になり、外へ向かって行動を行う。
(拒食症の人は内向きになる傾向)


しかし、自分の本心をきちんと相手に伝えることだけは
できていないのです。
「相手を怒らせるから、嫌われてしまうから、心配をかけるから、どうせ分かってもらえないから」
などという理由で
自分の気持ちを伝えることを躊躇してしまう人が多いのです。


病気の症状と言うのは一種の「非言語的コミュニケーション」という見方もできます。
しかし、正確に理解されることはまずないコミュニケーションパターンだと言えます。
















■対人関係の欠如≒リアルな人間関係が少ない



自分が他人からどう評価されるかと言うことに
とらわれている人と話していると「リアルな人間関係が少ない」ということがわかります。


想像上の人間関係はたくさんあるのです。



たとえば、「こんなことをしたら、〜だと思われるのではないか」
「きっと〜と言われるに違いない」というように頭の中では相手が大活躍しています。



でも、実際に相手とどれほどのやりとりをしているのかというと
殆ど無い、ということが少なくありません。




「実勢のやり取り」というのは
自分の気持ちを伝えて、相手の気持ちを聞いて、
という心のレベルの交流のことです。




そもそもが相手からの評価ばかりを気にする状態になってしまうと、
自分の本心を言うことができませんから
やりとりにならないのです。







これは物理的な人間関係の数のことだけを言っているのではありません。

もともとの性格に摂食障害という要素が加わって、自分をさらけ出すこともできず、
深いレベルでの心のヤリトリができない、という意味です。




もちろん、表面的には、それなりに人間関係がある人も多いのですが、
それが「本当の人間関係」であることは少ないものです。

「本当の人間関係」というのは、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちも聞き、
心のレベルで交流が行われるもの。

自分をある程度オープンにしてさらけ出すことによって、
相手も気持ちをさらけ出してくれて、そこにつながりを感じるとき、
私達は「受け入れられている」と感じるものですし、
相手の事ももっとも受け入れやすくなります。
















■人に気持ちを話せなくなる理由


第一は
自分の気持ちが他人からどう思われるかと言う不安。
嫌われるのではないか、だめな人間だと思われるのではないか、などと考える
なかなか自分の気持ちを打ち明けにくいものです。



第二は、自分の気持ちを話すことによって起こるトラブルを恐れる気持ち。
「いい人」でいようとする摂食障害の人は
”他人からどう思われるか”という不安を持っているのと同時に
人間関係での対立が怖い、
ということもあります。

人と意見を闘わせることによって問題を乗り越えたり
深い関係をつくったりした経験がないので
「意見の対立=関係の崩壊」と考えてしまうのです。






第三には
自分の気持ちを打ち明けることで人との距離が近くなることが怖い、
というものもあります。



また、摂食障害になる人は基本的に「ノー」といえないタイプなので
人に振り回されやすいという特徴があります。

人との距離が近くなることの不安は
相手のペースに振りまわれるのではないかということも
含まれます。

自分が不安にならないペースと範囲で親しくなれば良いのですが
「ノー」といえないと
相手のペースで

相手の好きなところまで踏み込まれてしまうということになります。これは確かに怖いことです。














まとめーー気持ちを話さないのは大損


■人との繋がりは心(感情)の交流で感じる



気持ちを話さないことで実際に起きるのは
皮肉なことに摂食障害の人がもともと恐れていたこと。


まず「相手からどう思われているか」ということが
心配で自分の気持ちを言わないと
相手からは
「本音を言ってくれない、自分と親しくなることに関心がない」
「つまらない人」などいう目で見られることになり



必ずしもプラスの効果を生むわけではない。


人間関係は
相手に点数をつけるためでなく
したしくなって楽しむためのモン。
ですから、「完璧な人」よりも
「欠点も含めて人間味のある人」のほうが好かれる



また、
対立を避けるという姿勢。
相手と気持ちを話し合ったからといって
必ずしも争いになるわけではない。
むしろ関係性を深めることになりますし
説明が不十分なほうが誤解されて対立に繋がる






■治療関係から実生活へ


もちろん、「対人関係の欠如」に該当するような方が
自力で人間関係を切り開いていくのは難しいと思います。
治療の場をうまく使っていただくことが必要でしょう。


対人関係療法の治療者は、患者さんの味方という姿勢を全面に出しています。
ですから、自分が感じたネガティブな気持ちを言葉で表現してみる、という最初の機会としては
安全だと言えます。


多くの人にとって、病気と区別された人格は、
大人になってからは、初めて出会う存在です。


病気に長年耐え、自分の存在を支えてきてくれた強い人格に
ぜひ治療を通して出会っていただきたい。
















おわりに



■現在の自分を受け入れてくれる人に気持ちを話そう!!


ありのままを受け入れるということは「現在」の自分を受け入れることだからです。
現在、自分は何らかの状態にあるのですが、それは、ここまでの事情を反映したものです。


持って生まれたものや、小さい頃から今に至るまで経験してきたさまざまなこと。
その結果として、現在の状態があるのです。


そのありのままを受け入れるには「ここまでの事情の結果として、いまの自分がある」と認めること。
そのとき重要な視点は、「私は、どんなときにもベストを尽くしてきた」という事です。





そんな限界の中、できるだけのことをやってきた結果が現状ですから、それは単にそのまま受け入れれば良いのです。
「努力が足りない」などと悪い評価を下す必要は全くありません。












「健康な自己の喪失」に対して「否認」にしがみついているときの構造は
大切な人を無くしたときの否認と同じです。


大切な人は亡くなったのに、その辛い現実を受け入れることができずに
その人の持ち物も全く整理しないで
あたかもその人が生きているかのように暮らしている人たちは
現在の生活を生きることができなくなってしまいます。



そして、「健康な自分」は死んだかもしれないけれど
決して自分自身が死んだわけではない、ということにだんだんと気づいていきます。



病気を持つことで、そうでなければ知りあわなかったような人たちと知り合い、
知らなかったことを知るようになり、新たなものの考え方を身に付け
人間としての幅も広まり、まさに新しい人生を歩むようになる人も
少なくありません。





ただし、それを受け入れて実践していくのは当人のペースに委ねられるべきです。

診断名を受け入れて、
標準的な治療を受け入れていくことは確かに最も「賢い」ことなのですが、
人間は感情的な動物ですから、頭ではそれが正しいと分かっていても、
心がついていかないことも多いものです。


そんなふうにしっかり考えられない自分を責めてしまうと、
ますます現実を受け入れるのが難しくなります。


今はインターネットで色々な情報が入手できる時代ですから、本人が診断を受け入れら無いようなときに
さまざまな情報を入手して提供しようとする人も居ます。
これももちろん善意に基づくことなのですが
ただでさ圧倒的な体験をしているときに、
さらに圧倒的な情報をもらってしまうと、混乱してしまうこともあります。
















■本当の強さとは



本人は、自分が弱いから病気になるのだと感じているものですが
実際には、ストレスへの「弱さ」を作っているのは、「自分の弱さを認められない」
という姿勢そのものだと言えます。


慢性の精神疾患から抜け出すと言うことは
そのようなものの考え方から抜け出すということもあります。
それこそが本当の意味で「強くなる」ことだと思います。



病気を病気として認めていくということは「強さ」です。




自分の弱さを感じて恥じたり隠したりするのではなく、
病気の症状としてまっすぐに対処していくことは「強さ」なのです。




ですから、治療で目指していく方向こそ、
本当の強さを得る方向なのです。


強さとは「弱さを認めて、弱さを助けてもらえること」なのではないかと。


摂食障害からは「マイペースでも大丈夫、人に自分の気持ちを話しても大丈夫」
ということを学べる。




病気は病気と認めてまっすぐに対処し、
様々な変化においては自分の弱さを頭に置いて柔軟に対応できる、
そんな姿勢こそが強い人間だと言えるでしょう。




こうして考えてくると、治療プロセスは
「自分は弱い人間だ」と思っていたところから、自分の強さに触れることができるようになる
道のりだと言えます。
治療も終盤になってきて「またちょっと病気が出てきてしまって」などとネガティブな考え方を
笑って語る患者さんを見ると、本当に力強くなったと感じるものです。




しかし、考えてみれば、患者さんは「力強くなった」のではなく、
もともと強かったのです。


苦しい病気と共に長年生きてきたということ
そのものが、その人の強さです。


その力が、気分変調性障害という病気と人格が混同される中で
すっかり見えなくなっていたのです。



病気と付き合い続けて来れた自分、
そして、弱さを抱え続けられた強靭な心身を育ててくれたものへの感謝。



そういうものでも得ない限り、慢性疾患との付き合いの意義が
見出せないないじゃないですか!!