いつの間にか、何のために痩せるのかを見失ってしまう
◇「痩せたい」から「太るのが恐い」へ
痩せたいんじゃないんです
太るのが怖いんです
だから、食べれないんです
これ以上太ったら、自分が自分で
なくなってしまいそうで、怖い。
■拒食の要素への取り組み方
痩せすぎが身体に悪いことは分かっている、
食べ物がたべられないことが多いと社会生活もうまくできない、
それでも体重が増えるのは怖い、というのが「拒食の要素」です。
体重増加恐怖症になった人にとって、
体重は一つの弱点です。
身体に「理屈抜きで怖い」という回路が
刷り込まれているのです。
つまり、条件反射です。
これを変えるためには
新たな回路を身体に刷り込んでいく必要があります。
この行動療法的な考え方が、
恐怖症としての拒食症に対する治療になります。
しかし、「恐怖症としての拒食症」は、
病気の本質ではありません。
「達成感・安心感のための拒食」が
本格化する中で、身体が覚えてしまったと言うのが恐怖症の部分です。
なお、「過食を伴わない拒食症」の人は
症状がやや改善してたべられるようになってくると
猛烈な食欲を感じるようになることがあります。
実際に食べている量はそれほどでもないのですが
それまでほとんど、たべていなかっただけに
「こんなにたべて大丈夫なんでしょうか」と
パニックに陥ってしまう人もいます。
これは、本人の頭の中にある自分に見合った食事量からは
圧倒的に余分に食べていると感じるので混乱してしまいますが
客観的には「普通」あるいは、もしかしたら「それで足りるの?」というレベルだと思います。
「食べようとする=エネルギーを得ようとする=生きようとする」
と思えば、食事長が適度な場所まで戻るのは、
極めて自然なことと言えるでしょう。
◇おわりに
■恐怖症の治療
拒食症というのはストレス病であって
対人関係を改善することによってストレスを減らしていけば
必ず治るのだという事を十分に説明して信頼を得れば
たいていの患者さんは体重を量るのをやめてくれます。
体重へのこだわりは体重が少ないほど強まります。
ですから、ある程度まで体重を増やしておいて、それから自分の体重に
直面すると言うやり方をとれば、だいぶ楽に順応できるのです。
■お腹より心をいっぱいにする
身体はその人の最大の自己表現。
身体はそのままその人を語っているのです。
身体言語という言葉があるのですが、
それはたとえば、嫌なことがあると頭が痛くなったり
ストレスが続くと下痢をしたり、口では語られない「言葉」を
その人の身体が表現していると言うことなのです。
ですから、
「太りすぎ=何か不満でいっぱい」
痩せすぎ骨と皮のようになった身体、
身体がないような身体は、
「no-body = nobody→身体がない、私は何者でもない」
「私は自分が誰か、アイデンティティがつかめません。
だから、とりあえず、ダイエットに励み、痩せることを目標にしています」
と語っているわけです。
太りすぎず、痩せすぎず、自分らしい、いい感じの身体であるためには
つまり過食にならないためには、心、脳、とくに前頭葉を満足させることが大切です。
人は、おなかがすくから食べるだけではありません。
哀しくて食べ、怒って食べ、退屈しのぎに食べるものなのです。
病気のレッテルを貼って
「過食は我慢しなくて良い」「しばらくは食べ物を吐くのも仕方がない」
というふうに認めることと、
「病気を言い訳にしないできちんと変化を起こす」というのは
矛盾しないことです。