しいて言えば「仕方がない」

人間って本当に、らないうちに、
脈々とバトンを受け継いでいるんだなぁ
ーって。











「後天的な遺伝*」とでも言うか、
びっくりするくらい、同じ構造が繰り返されているんだなぁと実感する。



悪いものは悪い形のままに次の走者にバトンタッチされていて
受け取った側はバトンの質を評価することもなく抱えて
次の走者に渡すことになる。
あるいは、途中で投げ出すことによってでも、
そのバトンは、”投げ出した”という形でもって
次に渡される…







ここにあるのは
誰の”おかげ”でもないし
誰の”せい”でもない。



強いて言えば
今、現在の、ここにある形は「仕方のない必然」なんだと思った。



「最大の予言は過去なり」みたいな言葉があるけど、
受け継いだバトンの帰結なんだよね、
ここにあるものは全部。


だから、今、ここにあるものは
「必然」でもあるし「仕方がない」









まぁ幾ばくかの戦士たちは
”脱獄”に成功して”シャバ”に戻っていくこともあるんだけどねー









*後天的遺伝


親がデブで
子どもがデブなのは、
「肥満細胞の数と広さの大きさ」みたいな
”先天的な遺伝”っていう要素の準備因子としては
考えられるのかもしれないけれど基本的には、
両親と食卓囲んで同じ食習慣を継続しているからでしょ?

つまり、両親の食習慣(太る食事・栄養に無知)に
従って生きている。
これを”後天的遺伝”と僕は呼んでいる。



「良くないループに自らダイブしていく人間なんていない」
という前提が成り立つのなら、もう、全部が「仕方がない」って
折りあっていく道が、残されるだけでしょう。