寂しさと過食、覚えた嘔吐


摂食障害病棟

摂食障害病棟

摂食障害は、どうみても基本的には
脳機能、特に視床下部機能の異常だよ。

それに、食欲中枢が弱い人は、まず自律神経も弱いからね。
睡眠障害や性的異常も起きやすい。

重層的な「視床下部の機能不全」といえる状態に
陥ってしまうかもしれない。





摂食障害とは生理的には、視床下部の満腹中枢か空腹中枢に
一時的な異常をきたしているか、あるいはそのあたりの発達が充分でないため
比較的小さなストレスでも調節がうまく取れなくなってしまう病態が基本に違いない。

いくら大きなストレスがかかっても、
この中枢が丈夫ならば摂食障害という形で病が
現れるはずがない。

摂食障害病棟 大谷純 作品社)



















ずっと、食べ物と一緒だった。


よく分からない空虚感を覚え始めた14歳のときから、
ずっと一緒だった。
いや、小学校の時から、そうだった。

寂しくてカマッて欲しいくて、それを言葉に出来ないときには
いつも食べ物に頼ってきた。


ストレスがキャパを超えたときも
孤独を感じたときにも、
空白を感じてしまいそうなときにも
ずっと、食べることに支えてもらっていた。


もう、ずっとずっと、寂しさと安心感の無い世界で
交感神経過剰になっていて、もう、ずーっと、
コルチゾールノルアドレナリンを出し続けてきた。


もう、ずーーっと、そうやって、
食べることで誤魔化してきたんだって、ふと、
アルコール依存症の人の映画を観てて思った。






空白から自分を束の間でも離したいときには
ずっと、食べ物に支えてもらってきたんだなぁって。


そして、その中で、嘔吐という術を身に付けた。
たべることをなかったことに(錯覚できる)方法を身に付けた。
空腹ではなく空白を埋めるために食べていることへの
罪悪感を帳消しにしたくて、嘔吐をし続けている。

決して、痩せたいからではなくて、
食べ過ぎてしまう罪悪感から、逃れたいだけなんだ。




そんな風な、根本的な寂しさが
過食の原因だったとしたら、もう、摂食中枢とか満腹中枢とか栄養療法とか
そんな理屈は軽く飛び越えてしまっていて、もう、全然意味ない。


寂しさへの対処法を考えない限り、もう、どうにも出来ない。



だけど、摂食障害の症状と、摂食障害になる病前性格があわさって
人とうまく関われない。

誰かに心をもらえなかったら、どうして、寂しさなど生めることが出来るのだろうか。


そして、どおりで、食べても食べても、満足感がない理由も分かった。
寂しさは食べ物では埋まらない。











もー疲れました。
正直。96%くらいです。
死ぬまでに、何万回、
「またか」の「おやすみ」と
「またか」の「おはよう」を迎えるのかと思うと、ちょっともう、
辛いですね。










ずっと、一人でやっていこうと思った。
どうしようもない人生なんだと、諦めようと思った。


食べ物から離れれば、楽に生きれると思った。
刑務所だったり、あるいは、食べ物のお金が無い世界に行けば楽になれるっていう幻想は
今も持っている。

ただ、どうしても、寂しさに耐えるだけの世界で、
食べ物を排除して生きなければならないのだろう?
どうして、唯一の友達を母を、なくしてまで、この世界に適応しなければならないのだろう。






それと同時に、
友達であり、母である食べ物を、ずっと自分から取り上げてきたんだなぁと
反省した。ただでさえ、寂しいのに、例え偽物でも、それなりに意味があったはずなのに、
それを取り上げてきた。与えないように与えないようにしてきた。


寂しさの欠損を埋める方法が、「ここ」にしかないのであれば
取り上げることを止めてあげないといけないんだなぁと思った。













過食症の子は
家離れの衝動が起こったとき、
大急ぎでこれを打ち消して、
「ママー!」と叫んでこびりつくんです。


でも、この「自信がない」って言う気持ちの本性を知ったら驚きますよ。
私は、女の子たちの頭の中にある「私は駄目だ」というセリフの背後の本音を知っているんです。
普段皆さんから数々聴いていますからね

例えば
「ベッドインのときにまずいから、もう少し痩せなきゃ」とか
「こんな私じゃ駄目だ」とか。

そんなばかなこといっぱい考えているんですよ。
それで、もう何だか嫌だ、セックスもふくめて 
人間関係は怖い、それで「ママー!!」の
叫びになっているのです。

(家族パラドックス 斉藤学 中央法規)