慢性食行動支柱症候群




○総論

『「不安定に安定」はキツイ。だけど、慣れ親しんでいるから楽。』
という症状でもありサボりでもある状態から
いつかは抜け出さないといけない。


身体もっているうちは、心身の不調の負担を全部、
摂食障害に集中させて処理できるけど、
いつしか、身体にもボロが。いや、すでに、かなり、ボロボロなのではないだろうか。



















摂食障害という「不安定な安定」に留まり続ける!?





ケース1…痩せたい→太るのが恐い

過食の頻度が増えたら生理が戻ってきた。
吐かないからただ増えていくばかり。
痩せに対する執着はあまりないけど、人の目が気になって太るのが怖い。
痩せたいんじゃないんだよ…太るのがこわいんだ…


■恐怖症としての拒食




拒食症が主な方の場合は「体重増加恐怖症」ですから
体重を増やすことの必要性が頭ではわかっているのに
怖くて増やせないということになります。


最初は自分がコントロールしている感覚を得るためにやっていたことによって
今度は自分がコントロールされてしまうのです。
病気の経過の途中からは「達成感・安心感のための拒食」よりも
「恐怖症としての拒食」の方が目立ってきます。













ケース2…満たされなければ求め続ける




明日なんて来なきゃいいのに。
目を覚ましたら朝なんだよ
また1日が始まるって思うと辛い
食べ物のこと考えるの辛い

何を口にすればイイか解らない。
食事も言葉も。

わかってもらえないよね、
食事がこわいなんて

また父親に怒られる

食べすぎ飲みすぎで胃がたぷたぷ&気持ちわるい…
脚はフラフラ、視界はぐらぐら、気持ち悪い。
なんて言いながら大好物フルーツグラノーラをバリバリ食べてるなう。
そろそろ吐かなきゃ…でもフルグラ美味しすぎて
気持ち悪いのに止め時がわかんなくてバリバリ…。



■エネルギーを求める由来の過食


過食には2種類の過食があります。
ひとつは「飢えを解消するための過食」です。


これは摂食障害に特有のものではなく
生物としての人間に備わった力です。


ダイエットをして飢餓状態になると「死なないように」する力が働き
「とにかく食べなければ」という状態になり過食が起こります。


この力は私たちの命を維持するためには必要なものです。




■「飢餓症候群」


痩せれば痩せるほど、困った行動や心理面の異常が増えていきます。



大きく分けると、


①やせるための行動
②反動の食欲や食への執着
③飢餓によって生じる神経症状、などです。


その多くは生理的な飢えによる「飢餓症候群」が原因です。
これは飢餓によっておこる症状で、健康人に飢餓実験をしても、
同様の症状が出ます。


体が飢えている反動で過食の衝動が沸き、食べ物のことばかり考えてしまい、
生活のすべてが食で振り回されてしまいます。


■補充してあげる&身体から取り上げない

そのため、
過食だけを我慢しようとしてもそれは不毛な努力です。
一時的に収まっても、すぐにまた始まります。


過食を抑えるには、とにかくちゃんとしたものを
ちゃんとした量、食べるしかありません。



過食症と言う問題は「食べ過ぎてしまうこと」にあるのではなく
むしろ「食べていないこと」や食べても「吐いてしまうこと」に在ると言える。







ケース3…健康を目指す不安 < 慣れ親しんだ安心感


はぁ…一日中チューイングしてた…
もうおかしいよ あたし

心が完全に昔に戻った
傷ついてるのがあたし
不幸でいるほうが安心

出産してから急に吐けなくなって
太るけど食費が減るし、治るかもしれない!
って思ってたらまた吐けれだした。

でも正直、吐けた事にほっとしてる自分がいる。
私、ほんとに治す気あるのかな?
甘えな自分が情けないです…



■「病気という安心感」とのお別れ


病気との「別れ」つまり、治療を進めていくためには
変化のための枠組みは維持しつつ、変えようとしない姿勢が必要なのである。
具体的には、「変化することが必要だとは思うけれども」という前提を示した上で
「どんな感じ方をしても大丈夫」という安心感を患者に与えることである。


「やっぱり摂食障害的な行動に頼ってしまう」と患者が訴えてきたときに、
「なんで我慢できなかったんですか!」などと、
すぐに否定してしまうと、患者は抵抗を強め、ますます「戻る」方向に傾くだろう。


これは、考えてみれば当然のことで、
「役割の変化」を進み難い理由の一つが
「新しい役割はネガティブなところばかりが目につき、
 古い役割はポジティブなところばかりが目につく」
ということである。



これは、変化の不安を反映したものであるが、
いざ変化しようとすると、新しい役割がとても難しいものに思え、
一方、古い役割の欠点が小さく感じられ、
「やはりこのままでよい」と思いやすくなるのだ。


例えば、ひどいDVを受けてきたようなときにも同じことが言えて、
いざ別れようとすると「昔は優しかった」などという記憶が優勢になるのはそのためだ。



なお、ここでは、摂食障害が日常生活と密接に関連していて
『生活の質が落ちると症状が悪化する』ということを患者と治療者の
共通理解となっている段階が前提である。










○おわりに


■持続可能な安定へ辿り着こうとする義務

人間の自己防御力はよくできたもので
かなりストレスのある環境でもそれなりに適応してしまう。
摂食障害という病気になることで
自分のバランスを保っていると言える。そして、治るというのは
その「バランス」を崩すことに他なりません。


その変化が怖くて
「どうせ私は治らない」と、その場にとどまろうとする。
摂食障害の人は「心配性」なのですから
変化を恐れるのも無理はない。


でも、身体は正直にできています。
病気の症状が「このままではダメだ」ということを
繰り返し知らせてくれているのです。
ですから、思い切って、今の不健康な「安定」に見切りをつける必要があります。

(拒食症・過食症対人関係療法で治す 水島広子 紀伊國屋書店)より抜粋


拒食症・過食症を対人関係療法で治す

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