喪失の意味を物語ではなく主人公として体感する日はイズコ??



◇C → G




stay Gold ×
stay Cold ○






輝くこと、自分らしく、愛される存在になれると思って信じてやってきたことなのに
のではなく輝きは一瞬で終わり、メッキがどんどんはがれていって、
最終的には、ずーーっと、風邪を引いたままになってしまった。


stay cold



別に、輝かなくてもいいので、
なんかこう、普通に戻りたいなぁー


というか、もしかしたら
「何気ない日常」こそがGOLDなのであり、
栄光なのかもしれない。


だとすると、何気なさの中にしか輝きはない。


まぁそういう風に悟った感じで思えるのも
ある意味で病者の利得なのかもね〜








◇失ったモノで繋がっている







僕は島本理生さんの小説が好きなんだけど
それは「得たものより失ったモノでのつながりが深い」ということを
いちいち示してくれている部分に共感を覚えているからだ。





■与えられたモノ < (希少な体験として)同じ気持ちを味わった < 失ったモノが同じ



摂食障害だけではないけれど
いやわゆる心の病系の人と話をしていると
癒される。



癒されると言うのは語弊があるかもしれないが、
なんだか、安心する。


その理由としては
同じ体験をしてきているという安心感もあるのかもしれないが
究極的なことを言ってしまえば、
「失ったモノでの繋がり」なのだろうなぁと思う。









■何かを失ったら必ず何かを得ている…??





どんなことにも
大して動揺しなくなった。
リスカ」「トラウマ」「虐待」という種類の傷を
打ち明けられたところで、深刻な場でははなく「安心な吐露出来る場所」として
存在することも出来るようになった。


どんなことがおきても、
そんなにびっくりするようなことは無いくらいに
弱さから強さを見出した。


「この世界で、起こらないことは何一つ、ない」
ということを身を削って体験し続けているのだから。



失うほどに人間は強くなっていく、という理屈は分かっていたとしても
できることなら、もっと、楽しいことや自分で選んだ厳しさの中で
イロイロ経験してイロイロ失って生きてきたかったなぁ…。。



コントロール感覚、舵は自分とれないっていう日々の
お釣りに得たのは、「鈍さ」と「無感覚」だけ。





あーあ。
もういやになっちゃたなあ。
なあにもいいことなんてないんだから。
どんなに我慢して頑張って生きてたって、
きっと、もう、どうにもならないんだよね











◇もしも、物語のようなお話があるとしたら…




■布置的なアレが起こるまで、どれくらい待つのでしょうか??



トラウマ体験をすると、そこから時間が止まってしまったように思うことが多い。
もちろん実際の時計は進んでいるのだが、自分自身は遭難したまま立ちすくんでいるように思うのだ。


しかし、実は自分はたちすくんでいたわけではなく、
一歩一歩、プロセスを前進してきたのだ、と知ることは
自分の力を感じることになる。


トラウマからの回復のプロセスを進んだ人は、ある時点で、
自分の人生の「まとまり」「つながり」を
感じることも少なくない。


その場しのぎにやってきたようなことが
あるいは意味もなく起こっていたように見えた断片的な出来事が、実は
まとまっていたことに気づくのだ。



バラバラに見えた現象にテーマがあることに気づいたり、
そこに「大きな目的」すらあったことに気づいたりする。


これは、コントロール感覚の回復であり、
自己統合感の回復にも繋がる話である。


もちろん、この「まとまり感」にも揺らぎが合って、
トラウマを刺激するようなことが起こると
また、バラバラ状態に戻ってしまったりするのだが、生活の中に時々でも「まとまり感」が出てくるという体験は
最悪の遭難状態だったときとは全く違う。

(トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ 水島広子 岩崎学術出版社