荷物を背負うことが生きる意味〜機能不全家族で育つということ〜










◇症例提示ー22歳女性(BPD・ED・統質・双極性)の場合








今日、折角、
父親が仕事休んで、私のメンタル回復させていってくれたのに、
夜の母との会話で口論になって仕舞った…。


ずっと存在否定されて、ストレス溜まって、
ずっと我慢してたから壊滅状態になるまでの言葉の吐き捨て合い。


父親が庇ってくれるから夫婦の溝は
深まる訳だし…。



結局私の存在が悪いんだよね。



昔から存在否定され続けていたけれど、
ここまで堪えたのは初めてだ。しかも私も相当酷い言葉吐き捨てたし。


本当はお互い愛し合ってる筈なのに、
お互い愛し方愛され方が解っていない。


私は治る見込みあるけれど、母親は無理だろな。
全責任は私に負わせて戴きます。











◇基本的な安心感を奪われて







アダルトチルドレン


アルコール依存症の親の元で育った子どもは自己主張が苦手で
自分を他人に合わせてしまう傾向が強い











機能不全家族で育つアダルトチルドレン




幼い頃にわけもなく両親から不機嫌にされたり
イライラされたりするような環境で育つと
「他人と人間関係を築く際には、まず第一に相手の顔色を窺うこと」という癖が
身についてしまうことがあります。



幼い子どもは当然の事ながら1人では生きていけない。
両親を頼るしかない。
だから、両親の機嫌が悪かったりイライラされたりすると
子どもは「見捨てられるのではないか、生きていけないのではないか」と
不安でたまらなくなるのです。


そして、自分自身は何も悪いことをしていないのに
自分を責めて常にびくびくしながら両親のご機嫌を窺うことになる。


実は、両親の不機嫌やイライラは
子どもには何の関係もないところで
発生していることが多いのですが
子どもにはそんなことがわからない。



両親の機嫌を取ることで
両親の気分がよくなって、
「いい子」扱いされれば
その後もご機嫌取りを繰り返すようになる。



こうして子どもは
「ご機嫌うかがいさえしていれば自分は見捨てられることは無い」
(認められるより捨てられない、が優先になる)と心に刻んだまま成長し
「人間関係とは相手のご機嫌をいかにうまくとるかによって成否が決まるものだ」とう
価値観を持つようになるのです。




子どもは本来、
自分の喜怒哀楽を
親に共感して欲しいものです。
とくに、自分が嬉しいときには
親にも同じくらいたくさん喜んでほしいと強く願っています。
「おいしいね、楽しいね、よかったね」と
共感してもらうことが
子どもにとっては最高の幸せなのです。


ところが、親と喜びを分かち合うどころか
不機嫌になられたりイライラされたりすると
子どもは深く傷つきます。



自分の気持ちを踏みにじられ
自分の存在すら否定されたと感じて落ち込むのです。



このように心に傷を負った子どもは
二度と傷つくまいとして身を護ろうとします。

自分の幸せに嫉妬された子は
親を不機嫌にさせないように自分の喜びを殺すようになります。
嬉しいとき、親に嫉妬されて育った子は
自分が喜びさえしなければ
親は不機嫌にならない、と考えます。



















■一貫性の無い親に育てられたら



親の言うことがしょっちゅう変わる家では
子どもは何を信じて何に従ってよいかがわかりません。




子どもが精神的に安定した人間に成長するには
一貫性のある生活が必要です。


言動に一貫性のない親を持った子どもは
安定した人間関係について学ぶ機会がありません。




親に一貫性が無い家庭では、家族の間に深みのある人間関係が
育つ余裕がありません。


いくら子どもがそれを求めて努力しても、つぶされてしまいます。


そういう家で育った人は、ほとんど必ずと言っていいほど
人付き合いや愛情関係に自信がなく
また人に対して依存的になる傾向が増します。

彼らが人に依存的になるのは、ちょうど、自分がもつことのできなかった
心の安定した親を探しているようなものです。


こうして彼らはアディクションの持つ一貫性に魅せられ、
確実に「自分に自信がある気分」を呼び起こしてくれるモノや行動に
引き寄せられていきます。




一貫性の無い親の元で育った人は、内面に強い孤独感を持っているようです。
彼らは人との温かな接触や人間的な関係を渇望していますが
その一方で、人を信用することがなかなかできません。




さらに、一貫性の無い親は「自分の言動は正常で、他人の方が間違っている」と
子どもに言うことがよくあります。
子どもは内心、「家の中で起きていることは異常だ」と感じていても、
親は「そうではない」と言い続けるわけです。



そのため子どもは自分の感覚を信じるか、それとも親の言っていることを
信じるか、という二者択一を強いられます。


特にまだ幼い子どもは、たとえ自分が受ける感覚と違っていても
親の主張を信じることが多いものです。


それは彼らの生存が全面的に親に依存しているためです。
そのため、小さな子どもは親の言動が支離滅裂であることに
なかなか気づきません。








◇まとめとして







■安全な家庭環境を与えるのは親の義務


子ども時代のそういった体験は、心の成長に大きな影響を与えます。


虐待する親を持って子どもは
「お前の人間性はどうでもいい」と教えられて育つのと同じなので
確固とした自信が持ちにくくなります。

さらに、虐待する親を持った子どもは、
自分の感情や衝動をコントロールできない人間の手本を見て育つことになります。




全ての人間関係に応用してしまうのです。



また、虐待されて育った子どもは、
人を信頼することがなかなかできない人間になります。
(その反対に、自分を守ることを考えず、あまりよく知らない人に不用意に地価好き過ぎることもあります。



人を信頼できないのも、不用意に近づきすぎるのも、
虐待されて育った人が自分と他人との間に適切な境界線を引くことがうまく出来ないことが原因です。これは特に制定虐待の被害者に顕著)



私たちが人を信頼することを初めて学ぶのは、自分の家族、主に親を通じてです。
しかし、もし子どもにとって自分の家が最も危険な場所だったら、その子どもは
安心感や人を信頼することを学ぶ機会がありません。

子どもに安全な家庭環境を与えるのは親の義務です。


子どもは親が怒りや暴力的な衝動をどのようにコントロールするか、
あるいはコントロールできないかを見て育ち、
自分に怒りや暴力的な衝動が起きたときに同署視するのかを学びます。



したがって、親には子どもが信頼できる人間である義務があるのです。
その親が、子どもを虐待するような信頼できない人間だったなら、
子どもは言ったい誰を信頼すればよいのでしょうか。





機能不全家族の両親は感情が常に不安定で、
子どもに接する態度がしょっちゅう変わります。
たとえば、機嫌がよくてちやほやしたり面倒を
よく見たりしたかと思えば、ささいなことで急に腹を立てたり
子どもじみた身勝手なことを言い出したりするという具合です。



幼い子どもはそういう親の変化に自分をあわせようとします。
そのため、そういう家で育った子どもは子どもっぽい言動をしたかと思うと
急に大人びた態度を取ったり、
子どもなのに、責任感のある親のようにふるまったりします。



このように親を持つ子どもは安心感を持つことが
困難で、自分に対しても自分を取り巻く世の中にも確信が持てません。


親は今は機嫌がよくても
自分を取り巻く世の中にも確信が持てません。




親はいまは機嫌がよくても、いつまた風向きが
変わって怒り出すか分からないのです。
この状態は子どもの心に強い不安感と嫌悪感を植えつけます。


よく、「自分には常に凶運がつきまとっているような気がいつもしている」
という人がいます。
その不吉な気分は、物事が順調に進んでいると大きくなり、
何か悪いことが起きるような気がしてきます。




たとえば、新しく付き合い始めた人とうまくいっているのに
だめになるような気がして不安になったり

そういう不吉な気分になるのは、幼い頃に親から安心感を与えられず
不安感ばかり植えつけられてきたことが原因です。



その家はいつも危機に満ちているのです。

いつも不吉な気分がしているのは、
子どもの時にその家では不吉なことが現実だったので
その感覚が心の奥に刷り込まれているからです。









こうして子どもは、人を信頼できるかできないかと言う感覚を
ごく幼い時期に自分の家庭から学びます。
それは親から与えられた世界観となり、その人が外に向かって発するフィーリングとなります。

そして成長して家の外で人に出会うようになると
私たちはたいてい同じような世界観やフィーリングを持つ人と親しくなるのです。






■自分の感覚を麻痺される


そういう親を持った子どもは、感覚を麻痺させることで自分を守ろうとします。
そしてそこでも将来アディクション体質になる芽が生まれます。




たとえば、親の争いを子どもは止められません。
そのため、テレビやネットなどに没頭したり、自分の部屋で空想にふけったりします。



しかし、子どもはそのような行動をすることによって
実は親の行動と同じようなパターンを繰り返しているのです。
なぜなら、それは苦痛を感じないようにするための行動であり、
親がアディクション行為をするのと同じだからです。