自分を大切にする力=駄目な部分も受け入れる
◇健康的な自己愛=自分の両面を許せる
■自己愛の病としての側面
自己愛とは
簡単に言ってしまえば
自分を大切に出来る能力。
自己愛とは「自分を大切にする力」です。
それは人間が生きていく上で
もっとも基本的な能力である。
この能力が、きちんと育っているから
人は少々嫌なことがあっても
すぐに命を絶ったりしない。
絶望しないでいき続けることができる。
自己愛がうまく成長していないと、
自分を本当の意味で大切に出来ない。
自己愛が目先の欲求を優先して
満足を求める段階に留まっていることもあります。
いわゆる自己愛的というのは
そういう状況を指すのですが
その場合も本当の意味で自分を大切にしているとはいえません。
大切にしているようで実は
損をしているということがよくあります。
また、自分を傷つけたり、
自分を過度に卑下したり
自分の気持ちを殺してまで相手に合わせたり
そんな役回りばかり引き受けたりする人も
自己愛に傷つきを抱えていることが多いのです。
不幸にして、この自己愛が適切に育っていないと
自分を大切にすることができない。
ひどい場合には
些細なことで自分を傷つけたり
時には命を絶ってしまう。
◇自分を愛するとはどういうことなのか
◎精神科通院の彼氏(33)を持つ女性(27・健常者)と
摂食障害暦8年のの男性(26)のやりとりから考える
■泣くことの出来る強さ
私、泣き虫だよ。
泣くことがストレス発散なのかもね
そうなのかもねー健全なルートで悲しめるってのは強み!
そうだね
最近わかった一番の強みは
どうしても自分のことを嫌いになれないってことかなあ
そうなんだーいいね、それ
病院行ったりカウンセリング受けたりして そのことに気づいた。
駄目だなぁって部分も愛せたら、いいよね、きっと。
そうだね
人間於のだめなとこを
「だめだなあって」昔から思わずにいれたことが 今につながるのかなあ
うーん、なるほどー深いなー
確かに僕に欠けているから納得です
そうなんだ
昔はダメな部分はだめだって思ってた人だったんだけど
20歳ぐらいのころから自分のダメでどうしようもないとこが目立ちすぎすぎて
なんか自分を守るためにこうなってしまったよ
なるほどー
等身大の自分を受け入れる力?みたいなものがあったのかも。
ここでだめなとこを受け入れられなかったら 病気になってたかもね
かもねー。
「これが私なんだ」っていう受け入れがよかったのかもーそこだと思うけどね病気の境界線みたいなの。
まあ一概には言えないか。
いやーたぶん重要な部分だと思いますよー
そっかー
■健全な自己愛は自分を包む
駄目な部分を「自分じゃない!」って否定するから、
どんどん自分への攻撃が始まるのだと思いますw
そうだねえ
うちのお母さんにそういうこと相談すると意外と
あっけらかんとした返事が返ってくるのも 助けになってたかもね
私は自分のことを攻撃してる自分も嫌いじゃないんだよね
健全な自己愛ですね!
自己愛…w
喜んでいいのかわからんねw
いやー良いと思いますよー
まるごと(良い悪いの両面)の自分を愛せているのは良いのだと思います!
なんで愛せなくなっちゃうんだろうね
愛せない人は 相当自分に厳しいんだよね きっと
あるいは、良い評価じゃない自分は受け入れてもらえなかった体験、とかねー
あっけらかんとした母親ばかりじゃないからねー
そうだね…
母親に助けられたと思う かなり
あの人は人生楽しそうだ
◇まとめとしての考察
『自分が好きだ』という感覚は
何かに成功したとか、うまくやったとか、
だからいいんだという次元とは違います。
自分を受け入れるとか許すと言うのは
良い評価からは生まれない。
むしろ、駄目な結果しか得られなかった自分を自分が
どう扱ってあげるか?で決まる。
■「不健全な自分の部分」を受け入れる力
幼少期から思ったことをパッと口に出せる、
のびのび出来る、喜怒哀楽の感情が出せる人たちの自尊心は高く、
社会不安、対人恐怖は低い。
私は自尊心が低いのでしょうか?
低い、と思います。
何かを達成できたことに対する一定の評価はするけれども、
達成できないと自分を認められない。
そうです。だから、
常に達成し続けないといけない
自分の事、嫌いでしょ?
大嫌いです。
自分の良いところを挙げてください、なんて言われた日には困り果てます。
■好き嫌いと評価は違う
好き嫌いと、良いところ悪いところというのは
次元が違う。
「こういう良いところがあるから、自分が好き」というのは
評価なんですよ。
好き嫌いは評価ではない。