過食嘔吐は反則!?
◇拒食は憧れ!という価値感
拒食→過食→過食嘔吐→拒食→…
このサイクルが
永遠に続くタイプも居る。
そして、このサイクルの中で
一番長く居座りたいのが
拒食である。
■食べないのはエライ
拒食が優秀。過食は負け。
反則勝ちをしようとするのが
過食嘔吐。
拒食が自己抑制、あるいは痩身が我慢強いと言う価値感であれば
それに負けてしまう過食は摂食障害者の
価値観から言えば、耐え難い敗北なのである。
その敗北をどうにか帳消しにしたいってあがくのが
過食嘔吐。
運動も正しいダイエットもしないで
痩せようとする。しかも、食べたいだけ食べて。
ダイエットの苦しみを受け容れずに
ダイエットを完遂させようとした。
そのしっぺ返しが
嗜癖として残ってしまう。
嗜癖の語源は
ローマ法の概念であり、
自分の負債を返済できない債務者に、隷属せよ、
いわば「借金返せないなら、身体で払え」という命令である。
何の負債を、私たちは抱えているのだろうか。
■嗜癖ーー何の負債?
外部の規範から自由になり
自分らしさや自己実現を
追求できるようになったはずであった。
だが、自己責任が同時に襲ってきた。
もし、負け組みに落ちたら、
失敗の責任を自分自身で引き受けなければならない。
これは自己愛に傷跡を残さずにはいられないだろう。
その結果、自己愛の補完のために依存症に陥っていく人々も少なくないわけで、
いわば、自由と解放の負債であるといえる。
■近道はトラップがいっぱいある!!
言ってみれば、
「痩せるも痩せないも食べ物の誘惑に負けてしまった自己責任」として処理されてしまう。
だれのせいにもできない。
遺伝であっても親のせいにしたくとも
遺伝と言う要素を誰も配慮してくれない。
ここにいる自分という結果だけが全て。
だから、過食と言う負けは許されない。
どうにか、勝ちたい!いや、引き分けに持ち込みたい…と
過食を帳消しに(できたと思っている)しようとする。
それが過食嘔吐という”ズル”を用いた。
ズルはばれたら罰則が在る。
それが摂食障害の長期化という罪を償う長い長い冬眠状態を
引きこしてしまっているのだ。
反則をして勝とうとした代償として
未来も削り続けてしまっているのです。
ただ、もしも、罪を犯してしまったのなら
やっぱり、しっかりと罪を償う時間がないといけない。
苦しみ抜く義務があるのだと思う。
今日の教訓;累積警告は退場と次節出場停止