食べ物と言う応急処置ではジワジワと痛みが増していくだけ





■食べ物は応急処置





過食症の患者さんは
空腹だから過食するのではない。
何か心の中ひ不安や怒りなどがあると
それを解消するためにものを食べる。
つまり心理的な動機によって
過食する(代償行為)
したがって、空腹感とは関係なくものを食べることが出来ます。











■応急処置は質まで想いが行かない


過食をした人は
たいがい、その後、自己嫌悪し反省します。

「質」が見落とされていることが多い。




ダイエットでは自分のあるべき身体イメージを「頭」が独断で設定し、
食べ物も運動も全てカロリーの数字に換算し
体重計の数字を目安にコントロールするわけですが
これは数字と言う「量」に束縛された状態だといえるでしょう。





過食も拒食も「量」の病理なので
「質」の機能が働いていないし
おいしいとか、おいしくないとか好きとか嫌いとかも感じなくなっているのです。















■自己対象とその代用品



コフートの自己愛理論



自己対象という概念がパーソナリティ障害の理解に役立つ。
自己対象とは、自己愛を鏡のように映し返し
支えを与えてくれる心の中の存在のことです。
具体的に言えば、まずその人にとっての
母親の存在というものが挙げられるでしょう。

母親の存在とは母親という別の人間でありますが
同時に、その人の心の中では自分の所有物のようでもあります
自己対象とは
”自己”の延長のようなものであると共に
”対象”(他者)でもある存在だと言えます。

自己愛が発達していく上で自己対象が
とても重要な役割を果たすことを
コフートは力説しています。



未発達な自己対象しか持てない人にとって、
身近な周囲の他者もまた、
自分の自己愛を支えるための「自己対象の代用品」として
利用されやすいと言えます。

子どもが未熟な親によって自己対象の代用品にされてしまうことは
非常に起こりやすい。
さらにはそれは子どもの自己愛の発達を妨げ、
同じような問題を子どもに植え付けてしまう危険があるのです。


身近な他者によっても紛らわすことが出来ない場合は
もっと危うい「代用品」に走ってしまうこともあります。
すなわち、アルコールやドラッグ場当たり的なセックスです。

自己対象が本来の成熟を果たしていない人では
アルコールやドラッグ、セックスにおぼれやすいと言えるでしょう。









■自己愛と依存症に共通する欠陥


自己愛人間と依存症の人間に共通するのは誇大感と全能感の性向だ。
専門家によれば、依存症の人間は、
理想的な養育者から制約なく完璧な世話を受けた乳幼児期を
再現しようとする。
彼らは制限に突き当たるか相手との関係に失望すると、
幼稚な感情が爆発する。
自分の能力の限界に気がつけば耐え難い恥の感情が引き出され、
理想化した相手が自分の期待を満たさず、
全てが与えられるわけではないとわかれば
捨てられたかと思って孤立感に苦しむ



自己愛人間も薬物に頼る人間も
自分の欲求を満たす人やものに対して
全貌の支配間をもちたがるが
一方でなかなか他者を信用できない。
どちらも短期ですぐに結果を求める(飢餓感が逼迫している)
他者を利用して性急に満足を得たがる。

ところが薬物を利用すれば
精神的な努力無しで欲求が満たせる
彼らは自分の本当の能力を危険にさらす緊張や苦痛や挫折に耐えられず
実際の自分の能力に対する不安を薬物で鎮めようとする。














■我がままに出来ないからワガママが起こる


ワガママを言っている人というのは
全然、我がままになっていない。

たとえば、おもちゃ売り場で駄々をこねている子どもを例にする。

その子は本当は心の奥で
「お母さん、まっすぐこっちを向いて頂戴」ということが
言いたいんだけれども、
子どもだから自分でもよく分からなくて
おもちゃ売り場に行ったときに「このおもちゃ買って!」とゴネて1個買ってもらう。
ところが次の店に行っても「あれが欲しい!」と言う。





キリのない駄々っ子になる。
しかし、おもちゃを買ってもらうことは
代理満足に過ぎないので
いくら買ってもらっても終わりはありません。
お母さんの方からみれば
「なんてワガママな子なんでしょう」ということになって
そんな我が子にうんざりする。




すると、子供からすれば
ますます望んでいた結果からズレていってしまう。
お母さんにまっすぐ向き合ってもらえれば得られるはずの我がままからは
遠くなっているのに
逆に「ワガママな子ね!」と叱られるような状態になってしまう。




このようなことが繰り返されることで
「私はワガママだ」という自己認識が作られていくわけです。


本当に望んでいるものでなく
代わりの何かで
つまり代償行為で満たそうとしますと、
それでは「量」的に満足できないので
欲求が「量」的に増大していく性質がある

ですから、過剰に何かを主張したり要求したりするので
周りからはワガママで困った人と評価されることになります。
しかし、その欲求の正体は
「心」の訴える何らかの飢えなのです。
ですから”我がまま”でない人が
ワガママといわれてしまうのです。

真に欲しているものを満たしてあげることができたら、
別におもちゃなど要らないのです。

ついでに説明しますと
このようなカラクリが依存症の病理なのです。


薬物依存、アルコール依存、
買い物依存、食べ物依存、ダイエット依存など、


”依存症”と呼ばれるもの全てで
起こっているます。














◇解決方法の提案として



■欲しているものをちゃんと与えてあげる




代理満足だから
どんどん刺激が増えていかなければ満足が得られなくなる。
代償行為はエスカレートするけれども
どこまでいっても本当の満足は得られません。

ですから、もし依存症の治療を行う場合には
表面に現れた依存的行動だけを制約するやり方では
解決しません。

その人の心の中の”我がまま”になっていない空虚なところに
アプローチできるかが、変化の鍵を握っている。



「どうせ食べるならあなたのその時に本当に食べたいものを、
 美味しいと感じながら食べるようにしてみてください
 安易に冷蔵庫に入っているからとか、手近いで買うとかでとか済ませないで」