死にたい→消えたい→生きたい
生きていると害になる。
だけど死ぬと、個人としての存在と言う意味ではなく、
一つの存在が居なくなったという意味での世間からの
評価の害になる。
死ぬと、やっぱり親への社会的な迷惑が甚大。
生きていると迷惑。
だけど、死んじゃうともっと迷惑がかかる。
ラクになりたい…
自分だけが楽になっていいのか?と思えているうちは
まだ大丈夫だろう。
死ねないから生きている。
死ぬと色々な二次的な影響が、自分という個人が居なくなったという意味ではなく、
関わった人たちにマイナスな状況が生まれてしまう。
だから、消えたい。
居なかったことにして欲しい。
ただ、
消えたいって思うと
どんどんと生きたくなる。
限界まで落ちて、価値のなさを痛感すると
どういうわけか、生きる方法を模索し始める自分が居る…
そして、普段は右から左に流れていく歌詞たちが
心を支える。
☆
健康な体があればいい 大人になって願う事
心は強くならないまま 耐え切れない夜が多くなった
悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
闘う相手さえ解らない だけど確かに痛みは増えていく
教わらなかった歩き方で 注意深く進む
優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま
感じることを諦めるのが これほど難しい事だとは
終わらせす勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる
消えない悲しみがあるなら いき続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう
☆
生きてる間すべて遠回り
すべて大回り
なのにそれなのに
近道探してみて
小回り おまわりに見つからないようにばかり
生まれた時 すなわち それが入り口
あとは誰しもが死ぬ時が出口
生きてる事 それこそ回り道
長い暇つぶし そのものが命
なのに 何故に我先に
向う先は出口とも知らずに
道抜けるために 日々自分探し
近道がしたいなら すぐそこにあるよ
☆
そういう自分に慣れない人なのよ。
自分が誰かなんて選べないでしょ。
自分に慣れさえすればあんまり悩まなくて済むようになるのよ
ーー人生は復讐だ。
人は断りもなくこんな自分として生まれさせられ、
断りもなくその自分を奪われています。
だとしたら、生きている間のわずかな時間だけでも自分を守り抜き、
自分をこの世界に送り出した何者かに対して抗いつづけなければと思っていた。
生きてたらいろいろあるよ。
でもね、何年か経ったらどんなことでもたいしたことじゃなかったって分かるから。
人間はさ、そうやって毎回自分に裏切られながら生きていくしかないんだよ
自分に裏切られながら生きていくとはどういう意味だろうか。
いま、苦しくて仕方がないことでも、やがてはどうしてあんなことで悩んでいたのだろうか、
なんであんなことにこだわったのだろうかとかなぜああいうことが可能だなんてばかげた錯覚を
したのだろうかとか、冷静に振り返ることができるようになる。