ショックを受けたことを話せる環境があったかどうか

3月6日の世界仰天ニュースというテレビ番組で
拒食症の特集をやっていたのを観ての感想。













■父親は馬鹿

人間は自分の価値観をすべての人が持っていると思い込んでいる。お父さんが中学生の時に部活で鍛えて、自分の父親に「がっちりしてきたな!」と言われたら嬉しいのだろう。自分が嬉しいことは他の人も嬉しいと思うと信じている。だから、娘にも言っちゃう。善意で。ただ、それは、言っちゃいけないよね

IPTの考え方に沿って考えると「がっちりしてきたな、と言われてショックを受けた」「筋肉太り、と言われて傷ついた」という自分の感情とか思ったこととかを、話せる相手が居ない対人関係に最初の躓きがあるように思える。



■ある人が「太っている」と思っても誰かは「そんなことないよ」と言ってくれる

ある人が自分に対して太っていると言う評価を下しても、ある人は、「そんなことないよ」と言ってくれるかもしれない。ある人の評価をそのまま信じてしまうことは危険だし、ショックを受けたことを誰にも言えないのはもっと危険だ。

ショックを受けた自分の気持ちを話しても大丈夫と思える場所がなかったのは彼女のせいとは思えない。

同じダメージ量であっても、それを癒してくれる場所があるかどうか?によって、
”思春期っぽい”で終わるのか”病気”にまで発展するのか、分岐点になっているように思った。





■町に診療所の主治医が馬鹿

体重測定の時に体重が増えたように見せかけるために、体重を測る直前にトイレに行き、おもりを手元に隠した彼女。
そんなことさえ見抜けない主治医は、精神科医としては完全に終わっている。

拒食症の人たちがいかに体重を増やさせたくないがために知恵を絞るのか?ということを、まったく勉強できていない医師に診療を任せるのは、
あまりに危険過ぎる・








■我慢をする生き方は受け継がれる

母親の我慢が強いと
娘はその我慢を学び取り、
そのとおりに生きようとする。
しかも、子は親以上に学んだ生き方に忠実であるから
娘はより完璧な我慢をするようになる。


そして、その子が思春期になって、自立しようとするとき、
培ってきた我慢は自然な欲求を抑えて、
もっと、ずっと、我慢し続けようとする。
自立したいという欲求が強くなればなるほど、
我慢の力も強くなる。



すると、我慢が自己目的化する。



一度、我慢が自己目的化してしまうと、
最初に何を我慢してきたかは
見えなくなる。



拒食症の母娘が見えなくなっている我慢は何かというと感情を表現することの我慢である。


番組でもお母さんは祖母の介護に追われていて、とてもじっくりと話を聴いてもらえそうな状態ではなかった。
娘さんに八つ当たりや愚痴をこぼすようなことはなかっただろうが、母親のイッパイイッパイな姿を娘はそっと陰から気に掛けていたことだろう。

そして、思った。
「お母さんが頑張って耐えているんだから、自分も耐えなきゃいけない」と。


おかあさんに、なるべく負担を掛けないように、普通の中高生だったら親に話したい場面でも口をつぐんだ。



人は、辛い、楽しい、苦しい、嬉しいなど、生活その時々の感情を
言葉にして気持ちのバランスをとり、
あるいは誰かの共感してもらって
緊張をほぐしている。
拒食症の母娘はそれを我慢している。
だから、いつも緊張が解けない。

では、自分の我慢が見えなくなったときに、
人は何を我慢しようとするのか?
食べないと言うことが人間にとって一番の我慢であり
最高の自己抑制であることは容易に理解できるであろう。
だから、我慢を自己目的化した女の子は拒食症になる。