「デブ」「痩せないと価値ない」って誰に言われたの??

「不自然に細い脚と、太いけど綺麗な脚どっちがいい?」って彼に聞いたら太いけど綺麗な脚がいいらしい。
整形的な施しをしたら私を愛せなくなるって。
そもそも、デブだ太いって気にしてるの自分だけなんだろうな…

(23歳・過食・アルバイト)




この方は、とても幸運だ。
しっかりと、リアルに存在する人間が、「太っていても問題ないよ(きっと、この女性は、世間一般の感覚からすれば痩せている部類にはいるのでしょう)」
と言ってくれるのだから。


彼女のように、リアルな人間ではなく、自分の中で作り上げた”周りからの評価”に人生が振り回され続けている人は、
大勢居るのだろう。

想像上の”周りからの評価(=あなたは太っている!)”に耳を傾けている限り、自分の世界にひきこもってしまい、
「私、自分の事太りすぎだと思ってるんだけど、あなたはどう思う?」とリアルに存在する人間との対話をする機会すら持てなくて、
どんどん、妄想の中にいる”みんな”に認められるために、幸せに寄与しない行為を強迫的に続けていくことになるのだろう。







■「見た目」を気にする人は人間関係が薄い


見た目を気にしている人は「こんなことをしたら人は○○と思うだろう」
「太ったら、他人は○○というだろう」などという「想像上の他人」の事ばかり考えています。

つまり、「見た目」が気になる人は「想像上の他人」ばかり考え、リアルな人間関係が乏しい。




けれども実際には他人とほとんどコミュニケーションしていないことが多く、
リアルな人間の内面について、良く知らないことも多いのです。
つまり、リアルな人間関係の体験に乏しいということが「見た目」を気にする人の特徴だと言えます。


これは物理的な人間関係の数のことをいっているのではありません。


「頭の中の他人」に取り込まれることなく、目の前に居る生の相手とやりとりを交わすと
そこからはいろいろなことが得られます。


思っているほど、相手が自分の事をネガティブに見ていないことに気づくこともあります。




■身体についての評価は誰でも気になるものだけれども…


「女性が鏡に映して自分を見るのは、自分の姿を見るためでなく、
 自分がどんなふうに他人に見られるかを確めるためだ」


この言葉には、女性のナルシズムの複雑な成り方が示されている。
男のナルシズムは、例外もあるとはいえ、「客観的な基準」を実はそれほど必要としない。
しかし女性のナルシズムは、「他人の目から見た自分の身体」というイメージを媒介としなければなりたたない



■見た目から病気になる人の境目は”生の声”を聴いているかどうか


摂食障害と対人恐怖の違いには、
「何を自己評価のよりどころにするか」の性差も反映されているからだ。

男子の場合は、自己評価を決める一般的に「社会的スペック」である。
すなわち、知的・身体的な能力やコミュニケーションスキルといった、能力的な側面である。

外見的な側面よりは本質的・機能的な側面にこだわりが強いとも言える。


しかし女子の自己評価は、容貌のみならず髪型から衣服まで含めて外見的・身体的要因によって大きく影響される。
女子の身体にかんする葛藤は、男子よりもずっと全面的で多様なものなのだ。