絶望は前進への強制送還

嘔吐に頼らない時間への挑戦

12月31日の午前7時に嘔吐してから、その間、嘔吐なし。
まもなく70時間を迎える。


この9年間、最も嘔吐に頼らなかった時間はせいぜい48時間くらいが2回あったくらいだった。
18の頃は、12時間嘔吐して12時間睡眠に逃げる、みたいな生活だった。


こういうお馬鹿な醜態が6年くらい続いて、ようやく、
「食べることに取り組まないと、食べることに頼らない時間を送るために集中力を持つことが出来ない」
と悟って、ちょっとずつ、痩せ願望と消化器系の弱さと向き合った。


15分、胃に入れて、吐くのを許す。
それができたら20分、我慢して、吐くのを許す…
ちょっとずつ、消化器系のリハビリをすすめた。


半年位して、なんとか、少しの食事量を胃に収めて、外出できるようになっていて、
図書館に通うようになり、医学の本棚で摂食障害および子供の育ちかた、カウンセリング、などなどの知識を得れるようになって、
辿り着いたのが対人関係療法と分子整合医学の考え方。


この二つに辿り付けたからこそ、まもなく9年間の自分で最も現在が成長していると感じられる瞬間を、今、味わえて(耐えて)いる。





■遠回りは、いつかの最短距離に

もしも、自分なりに病気についての知識を得る行動をとれないままだったとしたら、
「精神科に通うだけで、薬が病気を撃破してくれる」という幻想を破れずに居ただろう。


知識を得たところで、摂食障害について効果があるとは限らない。
だけど、直接効果のある行動とは限らなくても、なにか、小さな突破口にたどり着くことが出来たら。
また、次の突破口が開けるかもしれない。



人格障害とか発達障害とかストレス解消が下手だとか、
僕にとっての摂食障害の意味を少しずつ、消去法で消していった結果、
僕の場合には、人間としてのホメオスタシスが乱れていることについて医療用サプリメントを使用することで、70時間を手に入れた。


最初から、この治療にたどり着けたら、どんなに善かったことだろう…という後悔は消えないけれども、
もしも簡単にサプリメントに辿り着いていたら、見えない世界を見ることができたかもしれないし、
病気にまつわる構造を知識として得たことは、誰かの助けになれる人間の基礎を作ったかもしれない。




■希望は降ってくるのではなく作り出すもの

自分語りは気持ち悪くなってきたので、この辺で締めましょうかw


何が書きたかったのかと言うと、長期間、病気治らなくて、前進を感じられない場合、
なにか、自分で超えなければならないと感じている辛い事に、少しずつ、1年単位くらいでも良いので、向き合っていくべきなんだと言うこと。


病歴が5年もすぎれば、毎日のスケジュールは、ほぼ決まりきっていて、自分で変えていかなければ、
良くならないスケジュールをずーっと続けていって、突破口の無い暗い世界の住人になってしまいかねない。


変化の無いパターンを続けていても、やっぱり何も変わらない。
だから、効果的かどうかは別にしても、何か新しいパターンを試していって、少なくとも何も変化しないパターンと決別をしようとする。
そこで、なにか、本当に効果的なことに出会うかもしれない。


どうか、絶望と出会った(変化の無い悪いパターンの限界)時にこそ、今までのやり方と違ったパターンを取り入れることへの挑戦を恐れないで欲しいと思う。
絶望が教えてくれるのは「その生き方は、もう続けていくことができないので、新しい生き方にチャレンジしましょう」ということだと思っています。