ゆっくり壊れていったなら、治るのだってゆっくりに決まっている。

善きことはカタツムリの速度で動く。

マハトマ・ガンジー 宗教家)












◇自己保存の法則=恒常性の維持

人間(生物)の変化は、ゆっくりとしか起きない。
ただ、人間は浅はかなので、すぐに変化を求める。それが自分の欲望であればあるほど。


食べないのだから」「痩せる薬を飲んでいるのだから」すぐに痩せて欲しい!と思ってしまう。


けど、ね。
人間の変化はゆっくりしかおこらないんだよ。
そして、ゆっくりだからこそ、人間は生きていけているんだよ?


摂食障害だって、ある日、突然現われたように感じているかもしれないけれども、
心身のあげる悲鳴を無視し続けてきた結果なんだよね。わかるでしょ?


すぐに変われなくて(痩せれなくて)ムカつくかもしれないけれど、逆に、3日くらい食べ過ぎたところで、
身体に大きな変化なんて、現われないよ。変化(良いも悪いも)は、ゆっくりと進むから人間は生きていけるんです。








■生き物は変化しにくいようにできている

私たちが生き物として生きている以上、
人間としての自分が身体に望むことを100%実現することは不可能です。

ダイエットでも「すぐに、はっきり」効果が出ることなどありませんし
拒食症やうつ病にでもならない限り、
痩せすぎの体重を維持することもできません。

人間としての自分が身体に望むことが実現しないと
私たちはそれを「身体の限界」として感じます。確かに限界は限界です。
しかし、同時に、その限界は生物として生きていくことを
可能にする恒常性の力であること見ることも出来ます。
(急に変わらないからこそ、自分を保っていける)
どんどん右肩上がりに変化してしまうようでは
生物としてどこかで破綻を迎えてしまうからです。
実際に、生物としての私たちの身体は
感動的なほどうまくできているのです。



長い目で見れば、少しずつ食習慣を変えていくことは
可能ですし、現在食べ過ぎている人は
適量に収めていくことが出来ます。

でも、生命活動の維持は恒常性(ホメオスタシス)の中で行われることであり、
いろいろなことの揺らぎが一定範囲内で収まるようにできています。



つまり、努力すればするほど結果に反映されて報われるという「右肩上がり」ではなく
最終的に落ち着くところに落ち着くという「ほどほど」なのです。












■物事のハードルを下げることが大事

衝撃(摂食障害においては、人間の価値は体型体重で決まると言う思い込みのきっかけになる事)を受けると、
人間の心は不安でいっぱいになってしまいますので、「すぐに、完璧な」結果を求めたくなります。


一刻も早く安心したいがために、逆に非現実的に高い目標を目指してしまう





■思い出が優しくなるその日までは


自分の不幸を他人に押し付けてはならない。 そして、自ら不幸を選択していることに気が付かないでいる人間がいるってことを、知っておかなければならない。
人間は、自分が納得できるストーリーに自分の今までを埋め込む能力を持っている。


だから、「過去があるから今の自分がある」って 得意げに話す人は、上手なストーリーテラーであって、自分を騙すことが得意な人とも言えるし上書き保存が上手で前向きな人とも言える




■what goes around , comes around
やったことは自分に返ってくる、良くも悪くも。 そうであるならば、人生は因果応報で成り立つべきだ、悪くする要因を作ったのが自分であるならば、よくなろうとした努力も報われるべきだ。

キリスト教では黄金率と呼び、ヒンドゥー教ではカルマと呼ばれている。 世の中は因果応報で成り立つべきだ。誰かの努力は報われるべきだ。