”事情”を認めてもらった経験は受け継がれていく


◇自分の事情を認めてもらえた経験は優しい人間を形成

「お風呂になんて入って血糖値は大丈夫?夕飯前なのに」と言いました。


何気ない一言でしたが私はいらだちを押さえきれなくなり、
浴室の窓を手で叩き、硝子を割り、手が血だらけになりました。

母親は私を病院に連れていき、帰ってくると父が玄関で待っていて、
絶対怒られると思ったけれど、父は一言も責めず、
浴室の割れたガラスもすでに片付けてくれていました。


あの時ぐらいから、私は、
自分のためじゃなく別の誰か、
大切な誰かのために生きたいと思うようになりました。

たくさんの助けを家族からもらい続けるなかで、たどり着いた気持ち。
いままで、あまりにも自分のために生きてきた。

(ひらいて 綿矢りさ 新潮社)より引用







■攻撃してくる人は困っている人

「攻撃」してくる人というのは、
なんらかのことを「脅威!」と感じている人、あるいは癒されておらず常に周りを支配することで安全を確保しようとしている人、
不安や発達障害のために曖昧なものに耐えられない人など、いずれも、なんらかの形で困っている人です。


また、うつ病などのときにも「攻撃」しやすくなります。

うつ病になるとエネルギーがなくなりますので、普段だったら我慢できることも出来なくなったりするかです。
感情をコントロールするエネルギ0もなくなる、と考えるとわかりやすいでしょう。
この場合も「困っている」と言えます。

「攻撃してくる人は困っている」というのは考えてみれば当たり前のことです。
「攻撃」が「脅威!」と感じたときの反応であることを考えれば、
基本的に攻撃してくる人は自分が「被害者」だと感じている事になります。

つまり、「攻撃」は「被害に遭っている人の言動」なのです。

「攻撃」には勢いがありますし、「正論」を用いた「攻撃」も多いですから、
「攻撃」してくる「相手」はとても「被害者」には見えないこともおおいでしょう。



しかし、本当のところ、「攻撃」してくる人は「被害者」なのです。

被害に遭っていない人が他者を「攻撃する」ことはない、ということを頭に刻んでおきましょう。

(身近な人の「攻撃」がなくなる本 水島広子 大和出版)より引用









■「事情」の本質


「事情」というのは、持って生まれたものや、育った環境、現在おかれている状況や、今日の気分など、まさに「自分にしかわからない事情」なのですが、
これらの「事情」に基づく、自分にしかわからない領域を「自分の領域」と考えてください。


自分にしかわからない領域のことを「自分の領域」と呼ぶのですから、当然、「相手の領域」には
相手にしかわからないもの。つまり、自分にはわからないのです。


実は、
多くの対人関係の問題は、「相手の領域」に入り込んだり、
「自分の領域」について責任をもたなかったりする結果として起こってってきます。

たとえば、「相手の領域」に入り込む人は、相手の事情も知らずに何かを決め付けたりします。
夫婦で子供のこともじっくりと考えて出した「離婚」という結論なのに、
平気で「離婚するなんて子供がかわいそう」と決め付ける、などというのはその典型例です。











■事情を抱えていることを受け入れてもらえる安心感

受け入れてもらった。
その事実が心を満たす。

愛とは違うやり方で、でも確実に隙間を埋めていく。

私は二人と共に行くだろうか。

いや、決して行かない。
行かなくてもいい、ということを二人が最大の方法で教えてくれたから。

(ひらいて 綿矢りさ 新潮社)
















ひらいて

ひらいて

身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本

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