病も、受け入れてくれる場所に入りこむ

「あの子はね、ほんとはずっと病気のままでいたいんだよ」

「病気と言うのは不思議だね。ちゃんと自分を受け入れてくれる人を選んで病気になる」

「それに、病人は病人で、病気になる前から、ちゃんと自分が病気になることを知ってるんだ。」

「『きっとこのまま自分はひどい病気になってしまう』と、一度でも強く思うことなしに大病になった人間と言うのは 滅多に居るのもじゃないよ」

(どれくらいの愛情 白石一文 文藝春秋)より抜粋













◇病気を呼び込んだのは誰?



■小学校高学年の時、拒食症になりたかった

奇跡体験!アンビリバボー」って今もやってるのかな?

たしか、所さんが司会のやつ。
あの番組(もしくは同じような趣向の番組)で、
カーペンターズのボーカリストを取り上げていた放送があった。


それを観たのは確か、小学生の5年生か6年生。
ちょうど、主観だけの世界から抜け出して、
「自分は周りからどうみられているか?」という客観的に自分を見出す成長段階だった。



そのとき、カーペンターズのボーカルの人は拒食症だった。
すごく細かった。かっこよかった。憧れた。
クッキー二枚の食事でライブを出来る体力がある。おまけに歌(声量)も文句なし。
そして、タイトなスケジュールなのに全世界でコンサートが出来る。



「クッキー2枚だけであれだけ動けて有名になれて自分の好きなことして賞賛されるなら、
 食事なんてどうでもいい。どうでもいいというか、むしろ、食べなくて済むなら食べない身体になりたい」



満10歳前後の僕は、そう思っていた。
そして、ボーカリストは拒食症で死んだ。
しかし、「拒食症で死んだ」ということに対しての恐れはなかった。


あの頃から、特別に「生きたい」という生への執着は無かったのかもしれない。


「食べなきゃ死ぬんだよな人間。けど、全うしたでしょ」っていう感想。







■病気は人間を選ぶ


そして、約8年の潜伏期間を経て、思いは現実のものとなる。
高校3年の夏より拒食症がはじまり、秋には過食嘔吐へ移行。







本当に、「健康に生きたい!」って思ってますか?
実は病気になりたかったんじゃないんですか?
摂食障害のままで、居たいんじゃないですか!?



摂食障害に憧れを抱いたことはありませんか??



だとすると、「願い」は「叶った」のです。



「神様は試練を乗り越えられる力のある人だけに、それを与える」
っていうのは、嘘で、特に病気ってのは、その人が望んだからこそ、
その人に与えられているんじゃないだろうか。






願いが叶ったのに神様や両親、あるいは育ってきた環境に怒りを覚える僕は最低の存在ですね。
















どれくらいの愛情 (文春文庫)

どれくらいの愛情 (文春文庫)















「きみはどうして彼女と結婚しようと思ったんだい」

「そんなの、彼女の事を幸せにしたいと思ったからに決まっている。」

「だったら、君と彼女が別れたとして、それでも彼女は幸せになれると君は思ったのかい」