痩せないと、人生は始まりませんか??

いくつもの傷跡だけが残るようじゃ
隣で眠る あなたの事も そう辛いだけ

(カーテンコール/GLAY





恋愛が終わった後は、いつも傷跡が残って、
深い恋愛であればあるほどに傷跡も痛みを増す。

その傷跡を怖れていると
現在の恋愛感情を消すことに意識が集中してしまう…


過去を断ち切って、いまここにある自分を生きなければ
人生はずっと、何か終わるのを待つ待機期間のようになってしまいかねない。






「今この瞬間」を生きなければ、
時間が失われていくだけであって、それは
「生きていない」のと同じ事
なってしまうのではないだろうか。








◇痩せた自分が本物=痩せなければニセモノ





■痩せるまでの待機期間



「痩せたら○○しよう」「やせさえすれば××できるのに」などと言っている間に
寿命がつきてしまうことをイメージしてみてください。


まるで、今の人生が「本当の人生」のための待機期間のまま、
終わってしまうかのようだと思うのです。




「痩せさえすれば内面を充実させることに集中できるのに」
「痩せさえすれば勉強だってもっとやる気になれるのに」


というようなことです。



同じように
「痩せたら○○しよう」などと言っている人はたくさんいます。


これらすべてに共通するのは
「今は出来ないと決められている」ということです。


痩せされすれば、というのは「痩せていない今はできない」という意味であり
「大学生活の楽しみ、内面の充実」など、
自分がその気になればコントロールできるはずの事を
全て放棄してしまっています。






■甘いものは「美味しい!」



甘いものを食べるときに罪悪感を手放すことにしましたが
その結果として現在を十分に味わうことができたのです。
一般の過食パターンは
食べてしまった自分への罪悪感が次の過食に繋がる、
という形になるものです。


罪悪感を手放して味わったほうが、
結果として体重が増えすぎずにすむでしょう。



■現在と繋がって、「とらわれ」から脱する

ダイエットだけでなく
全般に「現在」は「とらわれ」から脱するためのキーワードです。

形へのとらわれから脱するということは
ありのままを認めるということであり、
自分自身に対する評価を手放すということでもあります。

評価は過去に基づくものです
過去に積み上げてきたデーターベースがなければ
私たちは評価を下しようがないからです。


何かに評価を下している時
私たちは「過去」を通してみています。


つまり、目の前にあるものをありのままに見ているわけではなく、
過去というフィルターを通してみているのです。


現在にとどまるということは
そのフィルターを手放すということです。
例えば、私たち何かに本当に集中しているときには
過去というフィルターを手放して
完全に現在と繋がっています。


そのようなときには
あらゆる不安から開放されているはずです。
「余計なこと」をかんがえず
あらゆる評価を手放している瞬間だからです。


そんな瞬間を人生の中で多く持つことができれば
それほど気持ちの良いことはないでしょう。
「痩せたがり」は、それとは対極にあるものです。



「痩せていなければ美しくない」
「痩せさえすればすべてがうまくいくはず」という過去にとらわれたフィルターを
通してあらゆるものを見ますし、「痩せなければ」という目標や
「太ってしまったらどうしよう」という不安にとらわれてしまうと
心はすっかり未来に行ってしまって現在が空洞化してしまいます。