病者には「悩み」も「幸せ」もない


◇「悩み」っていうのは現実社会にあるものだから…





■「悩み=未来への展望」「後悔=過去への妄想」



僕等がいた」というマンガの中で
矢野という登場人物の台詞に
「悩みって、今を生きている人間の特権だよね」
という言葉があって、
あぁー確かにって妙に納得してしまった。


今を生きていないと「後悔」とか「妄想」とか、
そういう、現実レベルにおける「悩み」なんかとは
縁遠いものだなぁーと。


今を、っていうのは、社会とか人間とのつながりのない中で
自分勝手に自己満足的に悩んで苦しんでいるって言うのは
結局、それは「悩み」なんていう高等な精神活動ではなくて
「後悔」という現在や現実レベルという生産的な場所から
かなり離れた場所にある、妄想的マスターべーション行為なんだなーと
痛感した。







■「幸せ」になりたいって思ったことは一度もない



あと、もう一個、矢野の言葉で
「幸せになりたい欲求よりも悲しみを取り除きたいんだ」っていうのがあって、これも共感。


生きてきて、幸せになりたいって思ったことって
なかったなぁーって。
常に「不幸にならないように、苦しみを除去したい」っていう思いしかなかった。


幸せを取り込むには
悲しみで埋まっているスペースを幸せのために開けてあげなきゃいけないから
なのかもしれない…。



 



■今の自分自身のことを好きになれない


自分の不幸を人のせいにする人というのは
現状に不満を抱きながらも実は、
自分は無力で
自分の力によって自分の人生を変えることなど出来ないと
思い込んでしまっているのです。


結局は、幸せも不幸もすべて自分の行ってきたことの結果であって
誰かのせいではないのだということを受け入れられない人たちは
今の自分の不幸を嘆き、運の、人のせいにしてしまうのです。




自分の親の生い立ち、傷つけられた男、そのせいで今の自分が不幸なのだと
どこかで思ってしまっていたら
彼女たちはいつまでも幸せになれません。


結局、今の自分の不幸を嘆いている人たちは
今の自分自身のことを好きになれないのです。