言葉を使うのが下手なので、私たちは嘔吐してます。
◇結論ーー人間を卒業したい病=摂食障害??
■言語は人間の特権。その言語を放棄=人間じゃなくなる
下記の二つの言説を見るにつけ、思うことは
「摂食障害者は人間で居る事がイヤ過ぎて仕方がない」んあだろうなぁということ。
摂食障害とは人間と言う生き方を放棄する行為なんだと思う。
言語は人間だけが持った。
言葉を通じて自分を表現し自分を伝えて、自分を守り、
コントロールしていかなければならない。
しかしながら、
その言語を使わないと言うのは人間としての自分を放棄している。
それはある意味で、死にたいと言うことなのかもしれないし
生まれ変わった自分に成りたいという意味なのかもしれない。
そして、言葉を持たない動物なのであれば、それは人間ではない。
だから、人間としての生き方を放棄してでも
”ガリガリの何かの生物”になろうとしてるのだと思う。
言葉を使うことを放棄し、
人間の三大欲求を自分から排除することによって
摂食障害者は、どこへ向かおうとしているのだろうか…
根拠①
■生物としての欲求から遠く離れて
本人の中で
「太るくらいだったら死んだほうがいい」
「太るくらいなら醜くてもいい」というのがあって、
本当に死んでしまう人も居る。
そうなると、人間は普通の動物からなんと遠いところに
来てしまったのだろうって思います。
多くの人は、そこまでいったら本能で食べるんじゃないか?と思うんですが
その人たちは意志の力で食べまいとする。
つまり、人間はもう動物であることを止めてしまうような所まで
来てしまった。
今の若者たちの中には
動物としての欲求を放棄するような人も出てきている
◇根拠②
■嘔吐と攻撃性
嘔吐という行為はかなり攻撃性が高い。
嘔吐を快楽と言うふうに考えるところまでいっている子と
あれは苦痛だと言っている子と別れていますね。
快楽と言うのは攻撃性の高い子、社会との関わりでも怒りっぽい子というか
自分の攻撃性みたいなものを認知できていて、
しかもそれをパフォーマンスとして出そうとしている子。
ただ、言語的に怒りを伝えることはできない子です。
怒りが言葉で表現できれば食べるとか吐くとかいう行為の必要はない。
もっと言語的に相手が納得できるような形で表現できるわけです。
怒りを食べ物の問題だけで表現しようとするときに
嘔吐が攻撃性に結びつくのです。
(斉藤学 明るく過食ゲンキに拒食)