僕が摂食障害を愛した理由(サマリー版)
「男性性としての自分」を
放棄するという目標に辿り着くために…
◇趣旨ーー僕は摂食障害をどういう目的で獲得したのか
摂食障害という疾患を選び取り
手放さない理由を散々に考察してきた。
そして、やっと正解に辿り着いた。
なぜ、摂食障害を獲得し9年間もの間、手放さないのか??
◇結論
『摂食障害を用いた「社会的引きこもり」』
そしてそれは、
『男性性としての自分への失望と放棄』
につながっていく。
追って説明をして行きたい。
◇『摂食障害を用いた「社会的引きこもり」』について
社会的引きこもりを実行するに当たり
周囲(社会)からの批難・批判を回避する目的で
摂食障害を道具として用いた。
いわゆる、病理利得である。
摂食障害を獲得する前から社会に参加できる人間ではないと
自分の事を自分で憂いていた。
もうあれは、中学2年生くらいから、ずっと怖かった。
漠然と、だけど確実に「自分は社会では働けない」と確信めいた実感を
常に携えてきた。
それなりの努力をしてを達成しても
※男性性…一般社会で男性に期待される役割(強い・稼げる、など)
そして、社会で働けないということは
男性としての存在価値がほぼなくなるという事になる。
社会で活躍できない自分が性的に熟す=大人の男になることは許されない。プライドも許さない。
だから、病気を獲得した。
男性性としての社会的な役割を放棄する理由として
(たまたま)選んだのが摂食障害という形だった。
本当は、何でも良かったのかもしれない。
「社会でやっていく自信が無い」だから守って、と両親に正直に言わないがために
病気を利用した。
社会低に引きこもるために病気を利用した。
そしてそれは
男性性への失望に繋がっていく。
◇『男性性としての自分を放棄』
■男性性社会的役割としての自分への放棄
男性性としての自分の存在に失望したのです。
”摂食障害者は庇護願望が強い”と下坂幸三先生はおっしゃっている。
僕には、この指摘はまさに、その通りだった。
男性性として社会での役割を果たせない自分は
男性性を捨てて、庇護される対象に
なろうとしたのかもしれません。
それが第一の自分の男性性への失望。
男性の役割を放棄する方便として自分。
拒食症患者は、脱性化を通じて
ユニセックスを目指すかのように見える。
これは僕のケースに限って言えば病人として扱われることでd
男性性を放棄し社会での免責を受けたい。
痩せたいとか食べられないという方便を使って
社会から逃げていたのだ。
■性欲を持つ男性としての自分を放棄
もう一つの失望の意味としては
女性への性的欲望を感じる自分への
強烈な羞恥心でした。
抑えようと思っても、女性を獲得したいという欲情は
湧き上がってきてしまいます。
そういう男の”汚さ”に、そしてその汚さに突き動かされている自分に失望をしたのです。
キレイでありたい=性的な成熟は汚い=嘔吐してキレイな状態を保ちたい
性欲を感じている自分が許せない。
過食嘔吐は口腔を使った自慰行為という記載も見かけたことがある。
口腔を使った自慰によって
性欲を感じないように、放出させていたのかもしれない。
性欲を洗い流したい。きれいにしたい
滞留している状態を自分自身に許せなかった。
キレイでありたい、性欲を湧いている来る自分を
きれいにしたい。
そうしたことが嘔吐という行為で達成されることがあるかもしれない。
あるいは性欲を感じることへの抵抗があった時期があった。
女性への性的欲求を感じる自分を許せない、そして今でも
わきあがってくる欲望を恥じている部分がある。
吐いたあとは性欲を満たし解放したような満足感があった。
嘔吐で性欲の迂回路を見つけていたんじゃないかな。
大人になること、つまり、
性的(性欲・体つき)に成熟していくことを拒否したかったのかも知れない。
二つの意味での男性性への放棄(社会での稼ぎ手・性欲を持っている男性)を
摂食障害で達成していたのかもしれない。
◎最終的な結論を現すのなら次のようになる。
・僕が摂食障害を利用する目的は…
「摂食障害は幼児的な自己万能感に留まるための利用される」という
まさに臨床家たちが精神分析的に結論付けている典型例だったということ。
自信が持てない、社会で役に立てる自分に直面するのを避けるために
病人という免罪符が適用される世界に留まろうとした。