不安を食べ物ではなく心で受け止めたい!!



○今日のひとこと




もう3000日以上、異常な状態、
不安定に安定してくれるホメオスタシスが出来上がっているからねー
もう、今の体調とか精神状態が、良いのか悪いのか、わかんない。


人間が自然から分子を借りて生きているとしら
摂食障害というのは自然の摂理にそむいている。
それでも、心臓は動き、
それなりの喜怒哀楽と2本の足で自分を支えれる程度には
自己破壊を起こさずに自分を保てている。




人間のホメオスタシスって尊いなぁと思う。



「思い通りに人生がいかないから…」なんていうことは
存在だけ尊いはずの人生から見れば、なんと強欲なんだろうと映っているのかもしれない。





それはつまり、簡単に言ってしまうと
「強烈な死ぬ理由でも無い限り、
人は簡単には死なないように出来ている」ってこと。
精神疾患なんてのは癌とか欠陥のつまり系の内科的病理とかと違って
全く死ぬに値しない程度の苦しみ、なのかもね


















摂食障害は不安の扱い方がうまくならないと治らない








摂食障害の病理が数年にわたっている場合、
彼らが過食嘔吐を手放すことは極めて困難だ。
なぜなら、
過食嘔吐していないときに感じる圧倒的な不安感という内的脅威がある。




■強迫神経性からの派生としての摂食障害





摂食障害強迫神経症関連の病でも
もっとも強迫性障害との関連が深いものであるといっても過言ではなかろう。
下坂幸三(1995)は摂食障害を「食を舞台にした強迫症」であるとした。


すなわち拒食症では
自分のからだそのものが確認強迫と洗浄強迫の対象となり、
やせていくことの証を様々に確かめ、
胃腸を出来るだけ空の状態に保ちたいという洗浄癖になっていく。


一方、過食症では
鬱積していた、様々な感情・欲求のはけぐちとして過食が生じ、
それが醜い行為とみなされ、
浄化するために自己誘発性嘔吐、下剤利尿剤の乱用へと到る。







■強迫的な行為は不安への対処法、だから…




強迫神経症
抑うつポジション、つまり不安に起因する抑うつと罪悪感に対抗して
これらを修正しようとして起こったもので


恐怖との相違に注目すると
恐怖が外的対象に対する恐れの勘定であるのに対して
不安は漠然とした内的矛盾から生じる恐れとなる。
周知の通り、神経症と呼ばれてきたものは
いずれもこの不安を回避するために作られた過剰な心的防衛に由来している。


だとすると、脅迫的に繰り返される過食嘔吐を手放すには
不安、根拠の無い不安を上手に心に貯めておけるように自己を成長させていかなければ
ならないのだと思う。












過食嘔吐にあなたは10年苦しんできた。
 10年続いている過食嘔吐を 
 それだけを目標に治すというのは難しい。
 過食嘔吐は氷山の一角だと思う。
 過食嘔吐が起こるには、それを支えている生活がある。 
 そこから変える必要がある。
 あなたは、どのような毎日を過ごしていますか?
 おそらく食べたいものがいつも頭に浮かび、
 それをたべてはいけないと思うけれども食べてしまう。
 その後に食べたことを後悔し
 太ってしまうのではないかと心配になる。
 そのような毎日を過ごしているんではないでしょうか。」


「そうなんです。食べることを一日中考えていて、他のことを考えるゆとりは
 ありませんでした」
(この考えから解放される方法は、食べる(太る)しかない。
 痩せたい気持ちを失うことでしか本当には克服できない)



過食嘔吐を産み出す生活を変えていきましょう。
 出てきている症状を叩くのは直接的な方法で、生活を変えて症状を改善を
 計るというのは回り道のように思うかもしれない。
 でも、生活を変えることが一番あなたは大切なように思う」






◇心はどうやったら強くなるのか








■人格は心の在り方で構成されていく







人格は家族内の人間関係が作るものだと考えると、
家族のような日常生活を共にするような濃い関係が人格を変えるものだと
では、人格とは何かというと
人格とは人間関係のパターンのことだといえると
思います。
それでは人間関係とは何かといえば、
人間関係に関する記憶である。

とどのつまりは
記憶の問題になってしまいます。
人間関係についての記憶が人格です。

それがとても悪いものであれば
意地悪な人になるし
暖かいものだと思えば、人にも温かくなれる。





■心とは?

科学では単純明快。
心とはたくさんの記憶が集まった「記憶の集合体」です。

もし記憶がなかったら
昨日も明日もないでしょう。
好き嫌いもないはず。

記憶がなかったら心も存在しない。
つまり、記憶がなければ心も存在しない。


だとすると、
過去の記憶に負けないこと。
過去の自分を繰り返してしまう自分を、自分でシャットアウトして
”今の自分”を生きること。



「いかになすかは、いかにあるか」
臨む態度が非常に重要。








人格が記憶から成り立っていて記憶は心なのだとすると
人格は心であり、人間関係を気づくために一番要になるのは
心の在り方であるということだ。


類は友を呼ぶという言葉があるが
心のあり方が似ているもの同士はやはり、惹かれあるものなのだろう。


心のあり方は過去の記憶で出来ている。
だとすると、記憶が病気を長引かせるのであれば
なんとしても、そのパターンを消失させて
ブランニューマイセルフに辿り着くことが必達なんだと思った!!!!