誰かと居ても、ずっと1人だった


「寂しさ」ってうのは理解者が居ないこと。
誰か自分の心を理解してくれて居る人がいなければ、世界で独りってこと。


自分を分かってくれる人がいなければ
たとえ誰がいたとしても1人で生きていくことになる。








理解者を持っている人が発する「寂しい」ってのはせいぜい、
”何もするべきこともないけど休んでいるのも退屈になった”という
「状態」から発せられているのだろう。
誰からも理解されていない、という心から発生している逼迫していて乾いた叫びにも似た「感情」とは一線を画す。




☆☆







ずっと寂しさは感じていた。
だけど、1人だとは思っていなかった。
だって、みんな居たから。
少なくとも学校に通っていたときは
誰かに会うことがあった。
だから、一人だとは思わなかった。


だけど、そういう人たちと合わなくなって、本当に誰とも会わなくなって振り返った時に「あぁ、この状況って、学校に行っていた時と何も変わらないないなぁ」ということに気づいてしまった。
つまり、誰かと一緒に居ても誰も居なくても感じる寂しさは変わらないんだなぁと
独りになってみて分かる。
誰かが居たときと感じたものが
誰も居ない状態でも、そのときに感じたものと一緒の感覚が漂っているということは、それは友達と居た時から「寂しい」は存在していた、ということだ。






だから、たとえ、同じ空間を共有していたとしても、
自分とのつながりを感じられる人が居なければ、それは孤独なのであって1人なのであって
誰も居ないのと同じと言うこと。